妙宗大霊廟


それはそれは美しい合葬墓が都内にあります。

どうせお墓参りにいくなら、明るくて、綺麗なところがいいなあと思うのは人情でありましょう。 東京都内にこんな美しいお墓があったのだろうかといっても決して言い過ぎではない美しいお墓があります。それが妙宗大霊廟です。





四季折々、桜・ツツジ・紫陽花・蓮華など美しい花が庭園いっぱいに咲き乱れ、蝶が舞い飛んでくる、それは美しい庭園の中にある墓地です。 お墓を選ぶなら環境がよくて、美しい場所をお選びになるのが何よりも賢明です。

妙宗大霊廟は合同で納骨されるシステムのお墓で宗旨・宗派は問いません。今や個人個人で墓地を購入して、さらに高い墓石を購入したものの、お参りに行くのにもとても遠くて、簡単にお参りにもいきづらいのでは何にもなりません。折角お墓を作っても子孫の人々もなかなかお参りにも来なくなる。そして何時の間にか無縁仏になってしまう。悲しいかな! これが現実でありましょう。


ご遺骨納鎮の様子


一年中、ご遺骨をお守りして、日々のご供養もキチンキチンとしている妙宗大霊廟。毎日朝の7時と11時半には必ず大霊廟前で回向供養がされ、無縁仏になる心配は全くござません。 何といっても交通の便の良さは最高です。新宿からは都営新宿線でわずか32分、本八幡からは8分、馬喰横山からは17分、そして一之江からは歩いて10分。

妙宗大霊廟は納骨される方の立場になって考えているお墓です。人間は仏子としてみんな平等、ひとつのお墓で身分も男女の差も関係なく平等に葬られる、こんな幸せなことはありません。私は家族のお墓じゃなきゃいやという人は、これ以上お読みになる必要はないかもしれません。でも…みんなで入るお墓も又いいものだと思います。

一番肝心な事 お決めになるのは貴方です。


毎年8月開催の申孝園夏祭り


妙宗大霊廟と供養会 ―恩師田中智学先生のお話より

妙宗大霊廟の建設
 一之江に新設された妙宗大霊廟の根源は、もと吾輩の独学発心の旧縁地であるといふ関係から、殊に少年時代約十ヶ年をここに生活したといふ縁故もあって、何となく親しみがあるので、自分が死んだら墓はここに建てようといふことを前から考へて居った。そこでこの一之江の墓地を特約して自分の墓を建設しようといふ事に着手したのである。ところがその当時、恰度国柱会の方でも会員の占有墓地
を定めるといふ案が起って、委員などを挙げて頻りとその敷地を探して居った。それを委員の者が聞いて「先生の墓地が出来るならば、矢張りそこへ一緒に会員の墓地を造りたい」といふ事を言ひ出した。(中略)よしみんながさういふ考へがあるのならば、更に一歩を進めて、吾輩が予てからの意見である一塔合安式を以て、ここに大納骨祠を造り、別に自分の墓標といふものをおかないで、我が会員同志ならびに一般の納骨者と共に一つ穴に入らう。これは予てから抱いてゐた理想である(中略)。
それは同ういふ訳かといふと、一体人間が生れて来るのは別々に生れて来るのだけれども、それが死んでの後までも矢っ張り別々になって居るといふことは、実は理屈に合はない(中略)信を同じうするとか、誓を同じうするとか、事業を同じうするとかいふものの上では、筋が違って居る。そこで別々に老いても、一つ穴に入るといふのでなければならない。さういふ心の誓いがなければ、本当の異体同心といふことは実現して来ない(中略)。
 そこで此の廟塔は、一つの大きい霊窖を造って、其の中に入る。普通の規則によると、一人一人名名
別々に壺とか箱とかに骨を納めて、甲の人と乙の人と混淆しない様にして納骨堂に入れるといふのが慣例になって居るけれども、其のカラを破って一大霊窖の中に於いては、もう甲も乙もない、悉く隔てをとって、永久の眠りに入るという方式でなければならぬといふので、一塔合安という廟塔の新式を発表したのである(中略)。
 従来は何の考へもなく、其のままにしてやって来たから、墓所といふものがあってそれに一々戒名を刻りつけたり俗名を刻りつけたりして、石碑を建てるといふ慣例になって居る。それは此の大安心大信念の上からいふと、全く意義のないことなんだ。即ち生前に仮に称して居った名前といふものは、終焉と共に責任を果たしてしまったのだ。それは永久に過去に属したもので、其の死んだものの現在といふものは全くなくなるとなれば問題はないけれども、矢張り宇宙の間に存して居るとすれば、何処に存して居るといふ事を考へなければならない。即ち法から生れて法に還るのだから、それが自分の根元であるから、其の根元の名前が自分の本当の名前である。それは何であるかといふと、法界の大元を称すべき不朽の名称は南無妙法蓮華経だ。その南無妙法蓮華経が自分の本当の名であるのだ。もと其の南無妙法蓮華経から生れて来たのだ。其の元へ還るのだ。だから真の元なのだ。仮の此の世の中の名はなくなって、真の元へ還るのであるから、此の意味に於いて個人個人の石塔といふものは要らないといふ事が起って来る。
 (前略)生れるのは不意に生れたので、此方が注文
したのではないから、無茶苦茶に生れたのでもよいが、死ぬ事だけは立派に意義を充たして死ななければならぬ。此の死を充実せしむるといふことによって、其の一生を充実するのである。それと同時に生れて来た本までも充実することになる。それが遡って前の世から、又その前の世、乃至遠き先祖にまで及んで、何れも皆有意義な生存存続といふことになるのだ。そして世は本当の光明が充ちて来ることになる。だから現在にあっても、過去の歴史にあっても、また未来永久の動きから見ても、此の安心が立たなければ人生も国家も全くむき出していへば落第なんだ。此の宗教的大安心を事実に現はすといふことが、此の一塔合安の霊廟といふ案なのである。これを事実に現出するといふことは、吾輩にとってはかつて奠定発表した御本尊壇式の奠定と、まさに好一対の宗教的現実表現の最も大なるものである。

例月供養会の執行

 毎月一回供養会といふものを設けて、壯厳なる儀式の下に遺骨を納鎮したり、それから霊名を納鎮する。此の霊名といふのは、現に其の遺骨を納めることの出来ない事情のあるものが、遺骨を中に納めたと同じ意味に、ここに礼祭を全うするといふ事のために、戒名なり或は当人の俗名なり、一定の形式の紙に其の名前を書いて、そしてこれを正境宝殿の霊鍳の下に其の名前に精霊を移すのである。即ち御霊代といふやうな意味になる。其の霊名を此の中に納鎮する。即ち遺骨遺形の納鎮と意味に於いては同じことになるのだ。(中略)会員でないでも、会員から請願すれば、矢張り正式に納鎮式を行って此の中に入れる事になって居る。いろいろな縁故の人がいろいろな霊名を中に入れてある(中略)。
 納鎮式は厳粛である。何時でもといふ訳にはいかない。月に一回大供養会の時の外は廟塔の扉を開かない。その扉を開いたときに入れるのである。それも厳かなる儀式の下に霊名を祀ってそれから入れる。入れた後はどうするかといふと、国柱会の制規によって、三十分間毎に交替して絶えず法味を捧げて居る。そのまん中の法座が所謂正中法座である。これは代表的の供養法座である。朝は日の出の早暁
から夜は十時の最終時間まで、三十分毎に常勤員が交替して絶えず唱題読経して供養している。斯ういふ深重なる宗教的行動を以て人の霊を祀ってあるといふ実例は、殆ど世にこれまでは例がなかった(中略)。霊廟ばかり如何に立派に拵えたって、活きた供養が継続して居らなければ、それはただ看板だけのことになってしまふ。形式的仏教形式的信仰になってしまふ。其のカラを破って、宗教信仰の真実味を世にとどめようといふのが、此の妙宗大霊廟の発起創建された因縁来歴である(後略)

(『師子王全集談叢篇』九「妙宗大霊廟の建設」三十六頁より。本文中の字体を新字体に改めました)


妙宗大霊廟

それはそれは美しい霊廟が都内にあります。


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