新たな出会い

2024年03月31日(日曜日)

 日蓮聖人は、御遺文『種種御振舞御書』の中で次の様に述べられています。
  相模守殿こそ善智識よ。平左衛門こそ提婆達多よ。
 ここで述べられています相模守(北条時宗)および平左衛門(平頼綱)は、大聖人に数々の迫害を加えた元凶であり、提婆達多はお釈迦様を殺害しようと企てた大悪人です。大聖人は彼等こそ自分を導いてくれた善知識(善友)だと感謝しておられます。彼等は仏教の大怨敵ですが、彼等を善導する過程の中で仏教の深い教えが明かされたのであり、彼等こそ仏教の大恩人です。
 上記の事と比べると少し畏れ多いことではありますが、我々の日常生活のなかででくわす人との相性について少し話させていただきたいと思います。新年度を迎えましたが、新学生、新社会人など、新たな環境に赴かわれる方も多いと思います。環境が変れば必然的に新たな出会いがあります。この時期になるといつも、私が社会人となった初体験入社式を迎えた日の事を思い出します。勝手気ままに過ごしていた学生生活を終えていきなり社会に出ると、誰しも経験することだと思いますが、未知の方との新たな出会いにおいては、どのようにお付き合いしようかと戸惑わされるもので、つい先入観を持って決めつけがちになります。同期に入社した人のうちにとても甲高い声で話す人が居ました。声の質や態度などから少し苦手だなと生理的に感じた私は、自然と距離をおいて接するようになりました。そんな思いが相手にさとられないようにと意識的に行動しましたが、そのような態度が相手に通じていないと思うのは浅はかです。自分に置き換えてみれば簡単に分かることですよね。学生の身分なら、気の合わない相手とは付き合わなくても済みますが、会社となると社会人として会社に利益をもたらす必要がありその対価としてお給金を頂く訳です。
 新たな出会いは相性の悪い人ばかりではなく、会った瞬間気心が合う人もいます。相性が合うかどうかに拘ることなく、みんなが善知識だと考えた方が得策でしょうね。これから新しい環境に出て沢山の悩みを抱えることもあると思います。それらも全てご縁であり、自分を大器にする大切な機会だとも言えるでしょう。自分の可能性、人間の可能性は、限りが無いと思います。どの様な時でも自身を信じる事が大事だと思います。無理をするのではなく自然と相性が合う引き出しを兼ね備えているのです。
 私は当時勤めていた会社を三年半で退職しました。その後、相性が合わないと思った上記の同期の友と四半世紀が経過した今でも交流があります。その同期の友が、親の会社を継いで今は大きな会社の社長です。一生懸命頑張って会社を成長させていた中に、コロナの為で事業を大幅に縮小せざる得なくなり、その時は自殺を考えたと今になって告白しました。その時に私を含めていろんな方と交わした話がきっかけで生き長らえることができたと話され、少しでも力に成れたご縁に感謝しました。あの入社当時に気を合わせる引き出しが自身に兼ね備えていたという事を無理せず見つけられたし、見つけさせてくれたわけであります。最初に無理に相性を合わす努力をしなかったため、様々な議論をして衝突までいかないが、かえって長くよい関係を保つことができたのだと感じています。
 先月に紹介した話に戻りますが、自分の両親、両親のそれぞれの父母・祖父母と十代さかのぼると1024人、更に三十代までさかのぼると当時の日本の人口を遥かに上回る人数になります。そう考えるとあながち人類皆兄弟は嘘ではありません。気の合わないと思う人も、先祖をたどれば縁者かもしれません。相性が悪いわけはないのです。どの様な辛い事があろうと、自身の手を合わせれば自身の手のぬくもりを感じます。それが自身一人のぬくもりではないということ、父母はじめ大事な遥か昔から受け継がれたぬくもりだと受け取って大事にしてください。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


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