2025年05月04日(日曜日)
去る4月6日、コロナ禍の為に開けなかった申孝園桜まつりを六年振りに開催しました。自然を相手にする桜まつり、日程を一年前に決めなければならないことから、何日にするべきか毎年悩まされました。年によっては桜がもう既に散ってしまっているとか、開花はしたが未だ五分咲きにも達していないとかで、期待外れに終わった年がよくありました。それに、当日の天気も心配の種です。満開と好天気が揃うといったことは、私の記億の中にでも数えるくらいしかなく、なかなかうまく行かないものです。
今回はどうなるものかとやきもきしていましたが、幸いにも見事に満開と重なり、天のはからいと大喜びしました。ところがお天気の方は期待どおりにはまいりません。当日の天気予報は午前中から終日小雨との報で、前日には室内での開催もありといったことを念頭において準備したのですが、当日朝九時の段階で晴れ間があったことから、屋外での開催を決断しました。しかし、開催後一時間もするとパラパラと雨が降ってきて、それが一気に本降りになり、やむなく急遽中止といった結果に至りました。地域の多くの方々による舞踊や居合道の奉納など、多くの行事を予定していたのですが中止せざるを得なくなりました。その中には、ダンスを披露するために朝から長い時間のリハーサルを終えて待機してきた御子さまも大勢居られ、皆さんのとても残念そうな表情を目の当たりにして、私の判断ミスから屋内での披露の機会までもなくしてしまってとても申し訳なく思っています。起こり得る様々な可能性を想定した上で決断するべきであったと反省しています。何事においても、多面的な考察が必要だと痛感した次第です。
本誌(機関誌「真世界」)に限らず原稿の執筆についても、拙い小生の原稿に多くの批判もある事も自覚しながら、しかし月刊の機関誌である「真世界」に寄稿しなくてはいけないと毎月無い知恵を絞っていますが、原稿を書く事の難しさはつくづく感じております。出版物として活字に残る怖さ、読者によっては、執筆者の意思と真逆に取られ、誤解される事があります。一層思慮深くならなくてはと、これまた痛感した次第です。
人生おいては常に様々な状況下で正しい判断・選択を求められます。同じ過ちを繰り返してしまう事もありその都度批判も浴びます。しかし我々は前に進んでいかなければいきません。不幸にも愛する家族との突然の別れがあっても、前に向かって、顔をしっかりと上げて生きて行かなければなりません。強くしっかりと歩を進めなければなりません。くじけそうな時には、他の方々が必死に歯を食いしばって頑張る姿に勇気を頂き、時には自分の行動が他人に勇気を与えたりします。これからも多くの批判もあるでしょうが、一生懸命頑張って苦手な原稿を書いていこうと思います。
申孝園の桜は、桜まつりの日を中心にして二週間以上にわたり、綺麗なお花を咲かせて私達を楽しませてくれました。園内の桜の多くが皆様もご存じのソメイヨシノです。ソメイヨシノ(染井吉野)は、江戸時代にエドヒガン(江戸彼岸)とオオシマザクラ(大島桜)の人工交配により生まれたもので、今では桜の代名詞となっていますが、人の手によって生まれた桜です。そのため自ら子孫を残すことが出来ないとのことですが、それでも子孫を残そうと頑張って、毎年一生懸命に綺麗なお花を咲かせてくれます。その儚さを知らずともその綺麗さに魅了させられます。園内のソメイヨシノは、どれも老木で、既に平均寿命を超えていますが、毎年、一生懸命に花を咲かせる生命力に圧倒されます。来年も、といわずにこれからも末永く、桜まつりが開催でき、欲を言えば満開でしかも快晴のお祭りになることを願うばかりです。
国柱会霊廟賽主 田中壮谷