2024年11月01日(金曜日)
皆様御存知の様に、仏教では、基本的な教義として、苦諦(人生は苦の連続であること)・集諦(苦の原因は煩悩であること)・滅諦(煩悩を滅し去ること)・道諦(八つの正しい修行を為すこと)といった四諦が説かれており、そんな中でも苦諦を究めることは仏道修行の出発点として重要ですが、人生の苦の最たるものは生・老・病・死の四苦です。今回は、「生老病死」にまつわる私の体験について話させていただきたいと思います。
生老病死のうちの最初の生は、生きることではなく生まれることを意味する様ですね。誰でもそうでしょうが、生を受けたときの苦しみは記憶になく、残念ながらその体験を語ることができません。私が記憶しています大苦の最初の体験は、私が二歳の時のことで、一家そろって交通事故に遭いました。私と姉を必死に抑える母の姿そして母の泣き叫ぶ声が今でもはっきりと思い出されます。母は救急車で病院に搬送されましたが、父と姉と私は残されました。事故車を運ぶレッカー車の内で、斜めに傾いた後部座席に座り為す術がなかったことを今もおぼえています。その後、私は、母の実家で、姉とは離れ離れで生活しました。祖父母は、母や姉と離れて暮すことになった私を不憫に思ってか、いろいろと世話をやいて、私は甘やかされて育ちました。そんなこともあって、挫折と言う挫折もあまり味わうことなく成長しました。そういえば、挫折を知らずに成長した私の事を心配していた友人がいると母から聞いたことが有ります。
苦労知らずに育ったわたしも、二十五歳の時に、初めて大きな壁にぶち当たりました。それは、母から癌になったと告げられたことです。祖父との死別の悲しみは経験済みでしたが、その頃は学生の身分でもあり、ときおりお見舞いに行く程度で、病状や闘病の苦しみなどは詳しく聴かされることもなく、自分にとって大きな挫折に繋がることはありませんでしたが、母の告知に遇って、なんとも言葉では表すことのできない絶望感に陥り、悲しみのあまり我を忘れて涙に暮れました。それからと言うもの、前向きに治療に取り組む母に対して、私の方が落ち込んでネガティブになるといった有様で、立場が逆転した観を呈したことを覚えています。母は、日本人女性の平均寿命からすると遥かに若い五十七歳で亡くなりましたが、五年間の闘病生活に付き合うなかで私は、「病」そして「死」について、多くのことを学ばせて頂きました。母は「老」といった年齢ではありませんでしたが、癌が全身に転移をしていくにつれて、実年齢より老いてきた母に接する中で、「老」についても学ばせて頂きました。亡くなる少し前のことですが、母は右手を絶えずさすっていました。感謝をしてさすっているのかと私は勝手に想像しましたが、翌日その意味を知りました。右半身に麻痺がでていたのです。そして、両手が完全に麻痺してしまったその翌日に亡くなりました。早いもので十七年が経ちましたがその悲しみは今でも忘れることができません。
まさに仏教で説かれている通りで、人生においては四苦から逃れることはできません。この事を心に刻みながら、充実した日々を生きることが大切だと思います。どの様なことがあろうとも自分の使命として天寿を全うし、母をはじめご先祖様と笑顔で会いたいものだと思っております。
国柱会霊廟賽主 田中壮谷