祝日の意味

2025年03月01日(土曜日)

 皆様もご存じの通り11月3日「明治節」は、明治天皇の御聖德を偲ぶ国民の請願運動により成立した祝日です。昭和2年3月3日に明治節制定の詔書がくだされました。制定後は日本国内だけで無く、外国の日本人移民社会でも盛大にお祝いされました。
 しかし戦後は、日本国憲法の公布日であることにちなみ「文化の日」となり、祝日の意味が変わってしまいました。私たちは「明治の日」として復活する事を願い、祝日法の改正に賛同する各種団体及び有識者と共に「明治の日」推進協議会を結成し、一般社会にたいして啓蒙・宣伝・署名活動を行い、百万筆以上の請願署名を集めました。それと同時に「明治の日」推進協議会の会長である塚本三郎先生を先頭に、議員立法として国会に上程してもらうべく国会議員に陳情を行い、やがて超党派の議員連盟が発足しました。法案提出まであともう一歩の所まで来ています。
 祝日が改まるのは大変喜ばしい事なのですが、一方で、国民の大多数は各祝日の意味を理解してすごしているのか疑問に思うことがあります。
 先月のお話で恐縮ですが、2月11日「建国記念の日」は、昭和41年の祝日法改正で成立した祝日で「建国をしのび、国を愛する心を養う。」とあり、戦前の祝日「紀元節」と同じ日に充てることは、政令で定められました。つまり、神武天皇が即位された日を日本国の始まりとしている訳であり、いわば国のお誕生日です。当然日本国民全体で大いに建国をお祝いすべきと思います。しかしテレビのニュースやワイドショーでは、西洋文化から流れてきた風習であるクリスマス関連や渋谷騒動で有名になったハロウィンなどは大いに取り上げますが、国の誕生日である2月11日についてはせいぜい民間団体主催の祝賀行事を報道で少し流す程度で終わりです。それこそ大因縁があってこの国に生を受けた訳でありますから、老若男女問わず手放しで大いに祝いたいものであります。
 今から30年前の3月に留学のために日本を発ち、帰国するまでの四年間を英国で過ごしました。その間地方の白人社会に身を置き、日本人(アジア人)という事で差別的な経験も受けました。ちょうど第2次大戦後50年の節目にあたっており、記念式典が英国各地で行われました。その時にも差別的な人々に、日本人がどうしてこのような時に表を歩けるのだと、非難されて物を投げられるなど散々な目にもあいました。首都のロンドンであればそのような目に遭う事はなかったかもしれせんが、記念式典に対する盛り上がりは国中であったと思います。また、米国の事実上の建国記念日である7月4日の「独立記念日」に米国に滞在したことがありますが、それは住民こぞってお祝いをしていました。全ての州に行ったわけではありませんが、国民全体でお祝いしている事がとても強く感じられました。せっかくの日本のお誕生日が祝日なのですから大いに皆でお祝いをしたいものであります。
 大多数の日本国民にとって祝日は、単なる休日でしかありません。この事を機にあらためて一度様々ある祝日の意味とその祝日が生れた歴史背景などを考え、その祝日が本当に必要なものであるのかどうか提起したいと存じます。

宗教法人国柱会 霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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