真(まこと)の祈り

2014年09月30日(火曜日)

「真の祈り」
宗教は祈りなり。
報恩を祈り、回向を祈り、真理に会せんことを祈り、正義に住せんことを祈る。
身の為に祈らず、世の為に祈り、国のために祈り、道の為に祈る。
そは真の自身なればなり。

(『恩師田中智学先生語録』より抜粋)

 祈りは宗教において最も重要なことであると、私は常日頃から思っています。しかし、最近は、その祈りが軽んじられてきていることを感じます。日々の正中法座においても、参拝される方が少なくなり、だれも参列されない日もしばしばあります。また、お釈迦様や大聖人の御事跡を偲ぶ大事な行事である御聖日においても、参拝者の数が年々少なくなっているのが現状です。大聖人は、『諸法実相鈔』で、「行学の二道をはげみ候べし。行学絶えなば仏法はあるべからず。」と述べておられ、恩師は、その行と学をともに修められました。 私は、「学」もさることながら、「行」が重要だと考えていますが、最近はこのことが軽視されていることが感じられて危惧しているところです。私は、祈ることによって、自己が変革されたことを感じて幸せな気分になったことをしばしば経験しました。このことをもっと多くの方々に感じていただきたいと願っています。
 同じく祈りといっても、その内実は様々です。正中法座では、つねに、上掲のような「真の祈り」を旨として祈っておりますが、私達は、例えば自分の母が病床の時には、母の病悩速除を祈るなど、身の為に祈ってしまうこともしばしばです。しかし、このような身内のための身近な祈りも、その祈りの根底に、法のため国のために尽くす自己を作り上げるという大目的を据えるならば、やがては真(まこと)の祈りへと変わるものと私は信じています。身近な祈りを、真の祈りにどのようにつなげるか、このことを求めることこそが大事だと思います。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


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