田中智学先生語録

国の成仏
この世を捨てて極楽へ往くだけの手数を掛ければ、この世を極楽にすることが出来る。この世を穢土だと考へるやうな手際では、せっかく往った先の極楽も、やはり穢土になって仕舞う。所詮ここで埒のあく事を骨折って出掛けるだけ損だ。吾が身も、吾が父母先祖も、吾が国土も、吾が子孫も、諸共に成仏する教へでなければ信じて益無く持って効がない。それを教へる為に、日蓮聖祖この国に出現なされた。これを伝へたのが本化妙宗である。この世を捨てる、この世を厭うといふ考が多数国民の頭に在る間は、国の護者が少ないわけだ、実に危険千万の事ではないか。
(「師子王琑言」より)

仏の法
仏法と一口にいふが、仏に成る法と、仏に成れぬ法がある。仏に成るべき法といふのは、仏の身の上を明らかにした法で、仏に成れぬ法といふのは衆生の身の上を説いた法だ。なぜ仏に成れぬ法を説いたかといふと、それは方便で、衆生の心を仏から処分するのに必要であったから説いたので、始めから仏の本意でないのだ。即ち衆生の心に随って説いたのだから仏の随自意教でない、随他意教である。それを知らないで、ただ仏教とさへいへば何でも同じだと考へて居るから、何時までも仏法の真面目が発揮されないのだ。少し考へるが好い。
(「師子王琑言」より)

御本尊の事
 「本尊」といふことは『根本より尊いもの』といふことで、ある意味から尊くした、若しくは尊く思はしたものでない、他から造り立てずして、自然に本来より尊き体となり居るものを指すので、宗教上に本尊を要するわけは、この本来より尊い無上の境界に対して、絶待の帰依信仰を捧げる、その信念の力に、無限の力用がある、この力用が宗教の価値のある所で、その力用の発すべき信を成立させるのが本尊である(中略)要するに本尊とすべきものが正しくなければ、信も随て正しくは起こらないのである、本尊と信仰とは切ツて切れない関係のもので、「正しい信」とは、一つは「正しい本尊」を信ずる信の事をいふので、「本尊」が正しく尊高なれば、それを信ずる所の「信」そのものも、任運に正しく崇高の情操を発揮するのである
(『日蓮聖人の教義』より)

御本尊の事②
 大体宗教で本尊といふのは、後天的の複製せられたものである、尤も先天的にも本尊はある、法界を以て本尊となすなどよくいふが、そのままでは吾人の依信立行の本尊とはならぬ、本尊は必ず聖人なら聖人が、その法界の本尊たるべき根本真理を、吾人人類の前に有効ならしむべく自ら功徳的に任持せられてからでなければ駄目である、即ち真理が人格を通じて来ねば宗教の本尊とはならぬ
(『日蓮主義教学大観』第四巻より)


御本尊は何故に文字曼荼羅に限るやの事
 木像でも銅像でも文字でも道理に変わりはない、十界久遠輪円具足の妙相が発揮されてあれば可いのである。然るに特に文字曼荼羅に限るといふのは、顕す式の上と、勧請する式の上と、修行応用の便宜の上とから見て、最も遺憾なく宗意を表現して、勧請修法の上に怪我のない、最良最善最正最便の式は、ひとり文字曼荼羅に在るといふのである。絵や彫刻にはひどく巧拙の祟があるが、文字にはその憂が少い。同じ精巧の度合としても、彫刻絵画はよほどの神品にあらざる限り、対すると共に批評心の生ずるもので、却って雑念を誘起する基であるが、文字は形式が既に超絶して居るから此の難が少い。況して曼荼羅の書法には、一種超凡の筆法があって、優に神韻を保持して居る。それから絵や彫刻ではとても八品の儀相(本化の観たる)を顕すべき趣向が立たない。それを何でもないものと考へて佛や菩薩や天部衆を何の意味もなく陳列(然り、陳列!)して得々として居るのは、どういう積りだか全く気が知れない、少くも法華経と祖師を馬鹿にしたものである。
(「本尊瑣談」より)

人法一如 
「妙法蓮華経」は、法界の中心主体を示し、左右排列の諸尊(釈迦如来・多宝如来等)はその妙用を示し、法と人とが理の上に一致し、事の上に調和した『功徳団』であることを彰はしたもので、単に法から言へば中央は真理の体であるのだが、その真理に無限の霊力即ち功徳力がある、それが人格的に顕はれた仏陀であるから、功徳点より「本仏」と称し、理体点より「本法」と称するも、その「本法」の内容は、本仏であり、「本仏」の内容は本法で全く「人法一如」である(中略)一言にして之を決すれば『妙法蓮華経の名で顕はした本仏』といふことに帰着するのである
(『日蓮聖人の教義』より)

漢訳法華経の事
 予は此法華経に於ては、世界に幾種の訳ありとも、恐らく什訳に及ぶものはなかろうと確信し、什師を以て、千古不世出の訳者であると直覚し承認するものである、彼の舌根不焼の如きは、此人が深く経典を崇敬し、金口の遺韻として一字一句苟くもせられざりし大熱心、些かも仏説を疵つけざらんとの慎密なる用意を見るに足るのである、さればにや天台、妙楽、伝教等は素より、吾 聖祖に至っては、古今独歩唯一の訳者として、血脈にさへ加へさせ給ひしほどである、宜なる哉、これを文辞より見ても、穏健雅妙、或は高大に、或は森厳に、或は周匝に、或は幽遠に、変化測るべからずして、音韻、整正朗々として心胸に徹し、髣髴として仏陀の在ますが如き感を生ずる、文章としても実に天下の至文である(中略)妙法華経を去って、正法華経を見る時はその優劣歴々として分明である、正法華の流伝の妙経に及ばないのも一は文章に因る、お経文の文章は、真読にして其音韻の整不整を感ずるのが一番近道である。
(『日蓮主義教学大観』より)

宗教結婚式の制定
 従来日本の結婚式といふものは、民間習俗の最も大きいものであるが、これには全然宗教の干渉を許さないという傾向で、万事いろいろのお目出たづくめで式を執り行う。菩提寺の和尚を参列させるとか、お経を読むとかいふことは絶対しない。寧ろそれを忌み嫌ふといふ風がある。結婚式のみならず一体は、他地方でもさうかも知らんが、先づ東京などでは三が日にお寺の坊さんが年頭の挨拶に檀家にも行かないことになって居る。四日から先でなければ坊さんの年賀といふものはやらぬことになって居る。そんな訳だから一生一代の極く目出たい時に、当然参加すべき宗教の支配者たる菩提寺を除外するといふ傾向をなすわけで、これを以て甚だ宗教の信念及び儀相の上に於いて不思議なことである。その見地からこの愚かな風習を打ち破らうといふので結婚式を制定した。
 ところが従来さういふことに宗教が関係しなかったといふことには、信徒の心得が違って居ったばかりではないので、先づ宗教家即ち坊さんだが、その職務は何だといふと、大体葬式をすることが唯一の職務になって居る。要するに葬式屋として見て居る。人の感情風俗からいって、人の死ぬといふことは一番嫌ふので、目出度いことに葬式のことを混入することは甚だ困る。そこでまあ三が日にも坊さんは来ないわけで、医者も矢っ張りそうだ、三が日は年礼に行かない。薬土瓶は三が日はどっかの隅の方に封じてしまっておく。病ふことと死ぬこととは、共に排斥の運命にあふといふことは、職務がさういふ不吉を意味して居る職務だとならば、除外されることも当然なわけだ。で、今でこそ宗教家も宗教的意識といふものがだんだんはっきりして来たけれども、幕府時代にあっては純然たる葬式本位の職業であるんだから、菩提寺といふのは菩提心を起こす修養の寺といふのでなく死人の菩提を弔ふ意味の菩提だから、菩提そのものが既に死んで居るのだ。だから死人を取扱ふ職業の人であるからといふので正月だとか結婚式だとかいふ目出度い筵からは、当然遠ざかる様になった。
 これは一往無理からぬやうな事態であるけれども、要するに宗教を理解しないところから来たもので、宗教が安心立命の大切なものであるとすれば、その人の一生を通じて信仰する宗教は、即ち自分の存在の第一義でなければならぬ。即ち生命でなければならぬ。してみれば結婚式の如き一世一代の大切な式典に、何をおいても先づ宗教の統監を受けてやらねばならぬ筈のものなんだ(中略)だからこの愚態を打ち破って、健全な宗教意識及び宗教風俗を復活せんければならぬといふところから、仏教家がかつて以てこころみなかった宗教結婚式を制定することになった。(中略)即ち世に立つ始まりといふその好機会において、正法受持の誓いを新たにするといふ、かういふ作法である。それから所謂成ほどとや思ひけんで、真宗や禅宗あたりでポチポチ宗教結婚式をやるやうになった。兎も角も死人をいじっているのが仏教の本領ではない。活きた社会をより以上活かして行くといふことが宗教だから、こんな目出度いことはないので、それを如何にも下劣極まった仏教の因習にとらはれて、能所共にかういふ病的現象を長いこと放置して、卑屈退嬰の極に沈淪して居ったといふことは、宗教の活気を殺いだ第一原因ともいへるといふものだが、断然これを打ち破って結婚式を行ったので、仏教における宗教的結婚式は我輩がそもそも第一鞭をつけて、これを教会の主なる式典としたので、つづいて帰正式であるとか、あるいは兵役に行く入営式であるとかいふものを制定することになった。
(『師子王談叢篇(二)』より)

日蓮大聖人を信奉する人々に告ぐ①
 日蓮大聖人は仰せられました。
「日蓮はいづれの宗の元祖にもあらず、又末葉にもあたらず」
それでは、どういふ御資格かと申すと、先御出現の一大事として、
「我日本の柱とならん、我日本の眼目とならん、我日本の大船とならん」
と仰せられ、又
「一閻浮提(世界中といふ事)第一の聖人」
と仰せられてあります。
 以上の御垂示をまとめて申しますと、
「我は決して一宗の祖師とか末葉とかいふ様な小さなものではないぞ、さしづめこの日本国の柱として、眼目として、大船として、世にこの法華経を弘め、一切衆生を無上道に入れて、この世の中を寂光の浄土としよう為に出たものである。日本は世界中での一番尊い勝れた約束のある国だから、この日本の柱は、即ち世界の柱となるわけになる。結局は世界中の人をのこらず法華経の光で照らして衆生の闇を滅するのが、我が誓願であり仕事である。かくて世界のいづれにも、この正義が充ち亘った時は、人も正しく世も平らかになるから、怨みや呪ひや嫉みや争ひが亡くなる。それで始めて人の世に真の平和が来る。この源は世界中のこらず法華経を信ずることから発する。故に我は日本の柱であると共に、世界中の人の標的と仰ぐ救の主であるぞ」
といふことになる。
 即ち世界の平和を、あと戻りしない様に築きあげるといふことが、大聖人の法華経弘通の根本条件である。故に本尊には
「一閻浮提第一の本尊この国に立つべし」
と仰せられ、題目には
「一閻浮提の人ごとに、有智無智をきらはず、一同に他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱ふべし」
と仰せられ、戒壇には
「一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王帝釈等も来下して、ふみたまふべき戒壇なり」
と仰せられて、三大秘法ともに一閻浮提(この全世界)のためとある。即ち世界的解決の根本法ということである。
(『師子王信感篇』より)

日蓮大聖人を信奉する人々に告ぐ②
 日本という国は、日本だけの為でなく帝室や民族のためだけでなく、世界人類の絶対平和を建設するために建てられた国だといふことは、国祖神武天皇の御詔勅に明白である。八紘一宇(世界中一軒の家といふこと)六合一都(世界中を一つ国とする事)と仰せられた。神武天皇は、武力をもって他の国を奪って自分のものとしようといふのでなく、世界中を一つの正しい道で繋いで、同じ道を奉じ同じ心になる様にして、世界中の人類を、「大きな一人」としよういふ思し召しである。それが自然と法華経の「一念三千」といふ大安心に帰着して居るから、同じく世界中を一道に救はうとて説き示された法華経の一念三千の大道理大信仰を、大聖人は直ちに日本国体の内容だとなされて、ここに法華経と日本国、日本国と法華経との先天的契合を挙げられて
「法華経の本縁の国とは日本国なり」
とお示しになったのである。
(『師子王信感篇』より)

日蓮大聖人を信奉する人々に告ぐ③
 自分の事を本当に大切だと思ふものは、自分のよって立つところの家、その家のよって立つ国、その国のよって立つ世界、それを安全にしなければ、国も家も人も畢竟全き安泰は得られない。故に真の人生の平和安楽を求むる道は世界の大和合といふことに帰する。それを方針としない政治は、いくら巧みに一時を治めても、すぐにあとからあとから頽れて来る。「世界どころではない、先づ自分の事から」と言ふかも知れないが、それは近いようで却って遠いのである。法華経の金言の如く、神武天皇の詔勅の如く、世界を救はう救はうといふ標準で押して行くところに、あらゆる人の安定も帰着も明らかになって、よしそれが掛声ばかりであるとしても、そこに人が活きかへる様な輝きと平和がある。それがすぐに法華経の妙理で、同時に日本国体の精神である。その旨に順った政治でなければ、日本国体の意味した政治ではない。その標準で法律も造り、教育もし、武も練り、富も造り、外交もする。そこに公明正大の光があって、世の闇は除かれて行く。それが法華経主義の政道といふのである。その政道は、一切法華経の活現体たる日蓮大聖人の智慧の光明から出た御指南に基づくのであるから、これを日蓮主義の政見といふのである。その正しい政治意見から照らされて、国を活かし人を活かし世を活かして、日本国がこの世界に建てられた本来の主意を徹底させるため、万事建国の主義を標準として行く政治を、国体主義の政治と申すのである。 但し、いくら国体と言っても、ただ日本は神国だの一点張りで、所謂「お国自慢」の排他自尊から出た国体論では、世に益なく却って国に害ある偏見に過ぎないから、それはここにいふ「国体主義」とは全く別のものである。要するに世界の一切の思想や道徳及び政治経済の上に、根本の光を与ふべき大理想から発した純真正理が土台で、あらゆる人間の文化を統べ束ねてそれを一つの大きな光と変化させる力のあるものでなくてはならぬ。即ち一念三千の大哲理大信念を背景とした、まことの高遠の理想、これが今申す日本国体である。それを方針として国を率い世を導く政治が、即ち「国体主義の政治」である。これは吾々が今更俄に思ひ付いて申すのではない。大聖釈尊すでに経文に
「治世の語言資生の業等、皆正法に順ふ」
と説かせられてある。「治世の語言」とは政治である。「資生業」とは経済である。それが「皆」とあるから、すべてそれが「正法」たる法華経の一念三千の道理に順ふべきだと教へられてある。経文にまた
「正法をもって国を治め、人民を邪枉せず」
とも説かれてある。正法即ち法華経で国を治める。法華経の原理に依らない政治は、人民を邪にし、その真を枉げることになる。その結果は、人が悪くなって世が乱れる。即ち大聖人が
「善に就け悪に就け、法華経を捨つるは地獄の業なるべし」
と仰せられたのはそこだ。法華経を捨てた人や国は、とどのつまり地獄に堕落する。今の世界のありさまを見れば、ぞっとするほどそれを感じるのである。
(『師子王信感篇』より)

日蓮大聖人を信奉する人々に告ぐ④
 吾等が法華経を信ずる結果は、この国を法華経にしなければならぬ。法華経の心で国を治めて行く。法華経を心とした法律や政治を実現しなければならぬ。「自分だけは信じているが、この国はいつまでも法華経にならない」といふことになると、「我等與衆生皆共成仏道」の本旨にそむく。国と共に成仏する、「日本国の一切衆生の盲目を開く」とおほせられた聖願にそむくことになる。どうしても政治までに徹底しなければならない。ことに吾々在家の信者たるものは、全くそれが国に対しても法に対しても、必ず為すべく盡くすべき天職である事を考へねばならぬ。国からいへば、この法華経は政治の根源だと教へられてある。
「とく言ひたらんには政道の法ぞかし」
といふ聖訓は、適切にこれを指導なされたものである。而して吾々在家の信者が、国勢に携はることは、大聖人の儼然たる御命令である。
(『師子王信感篇』より)

日蓮大聖人を信奉する人々に告ぐ⑤
 在家と出家とは、現代に在っては昔の規律の様な分け方は出来ないが、一往『出家』とは宗教家といふ事。『在家』とは宗教専門家でない、ただの信者といふ事になる。即ち吾々在家のものは信心修行はしても専門家を別に要するわけは、この法が至って深く広いから、専門に研究して、一点遺憾のない様に、さてその法の妙用を実地に建設して国家の力として行くのは、在家の方の役目だから、これを政治経済の上に打ち立てて行かねばならぬ。そこで宗教家は世法を照らすべく仏法を専門に学びかつ弘め、信者はその仏法を以て世法を活かして行くべく政治経済の上に力を建設せねばならぬと、分業的に御厳誡あって
「然るに日蓮の弟子の出家は、主上上皇の師となり、在家のものは左右の臣下に列せん。はたまた一閻浮提此の法を仰がん。」
と仰せられた明白の御訓示、出家僧侶は「道力」を保持し、在家信者は「勢力」を任持して国政にあたる。「左右の臣下」とは、昔の官職で左大臣右大臣を指す。即ち天子の左右に侍して国政を執る為政者、今でいふ内閣大臣の事である。今としては立憲の制度で、国民の過半数を制する政党が大命を奉じて内閣を組織することになる。それを申すのである。即ち「日蓮の門下は、大聖釈尊の金言通り、法華経の正法で国政を執り、日本建国の精神を貫徹する様に国を整治して行かねばならぬぞ」との御厳誡である。かくしてその結果の成績は、一閻浮提此の法を仰ぎ、一乗の正法に安住して、大聖仏陀の聖意の如く、神武天皇の御理想の如く世界の絶対平和が実現して、「我此土安穏天人常充満」の常寂光土が、この地上に顕れる事であらうとて、「一閻浮提此の法を仰がん」と結勧あそばされたのは、世界平和の最後解決は、此の法華経に依らねばならぬ。而してそれは日蓮門下の世出両面の貢献によるものなるぞとの御意で、別して吾々在家のものに、政治運動の御教令を下されたのである。これを等閑にしてはすまない。
(『師子王信感篇』より)

出世間的国家主義
 國家主義なる語辭も、流れ流れて遂に宗教界に迄入り來りぬ(中略)…よく現今の宗敎家及び學者たちが、宗敎に就て國家主義の社會主義のといふ事を言はれるが、全體國家主義といふ理論は、專に敎育にいふ事にて、國民心情の上の議論なれば政治的を意味する一向の世間談なり、故に矢鱈に宗敎または哲理の上にいふべきでない、國よりも廣い天を説き、世界よりも大なる佛を説き、倫理道德の諸論いづれも一局部の國土に局らずして、天理人道萬方古今を通ずべき道理を立てるものが、方域版圖の齊られたる或る一國一土を主義とすべき謂れが無い、狹い處で人類を標準とし、廣い方では天地法界を境として説くのが宗敎ではないか、さらば同じく人類といふに、なんで日本の人だの歐羅巴の人だのと隔てる譯が有らう(中略)國家主義なるものは元々差別の結果として立てるものゆゑ、あれもこれもと愛して居ては自國自衞の道が立たなくなる、故に國家主義と宗敎とは必ず一致せぬものと心得ねばならぬ事也。(中略)佛敎にて國家主義を唱へて、世の國粹論と一致せんことを望むものは、自ら佛敎の主義を破壊せる外道の見計に墮したるものなることを覺らねばならぬ(中略)吾 聖祖の國家を論じたるは、世に所謂國家主義などと同系のものにあらず(中略)吾日本國は 天祖開治の始めより道と共に終始すべき國柄と定まれるもの也、故に日本國の日本國たるを知りて以て之を主張するは、日本の爲めに主張するにあらずして、寧ろ世界萬邦の人類を救ふが爲めに、その主腦を認覺せしむるに在り、先づ日本を愛護するは、世界人類の主腦を護持する也是を以て 聖祖特に獨り此日本國を選びて本尊戒壇の靈土を定めらる、之を出世間的國家主義といふ。
 日本の有道の國たることは、歴史的に傳へられ、因縁的に傳へられ、本化上行の宣傳によりて其實を得たるもの也、その道とは 天祖の神謨これ也、天祖の神謨なるものの實は、天竺の釋尊之を説明し、日本の聖祖之を世人に誨へたり、本門事觀一念三千立正安國三大秘法の妙敎これ也。
(「所謂國家主義」『師子王論叢篇(續)』より)




御題目①
 妙法蓮華經に南無し奉るといふことは、その妙法蓮華經の命ずる通りに從ひませうといふことが南無妙法蓮華經であるから、御本尊に向って南無妙法蓮華經と受持して誓った以上は、この願業といふものを帯びて居らぬ信仰ならば、それは鰯の頭を拜む信仰も同じだ、念佛の代りに題目を唱へるだけのものである。「信心といふものは人の精神狀態を纏めさへすれば宜い」なんて言ふ者がある。(中略)人間の心を集注する位ならば何でも構はない、ドンガラガンでも構はない。どんな事でも少しやりつければ、人間の精神が一つになって、他の事を顧みない位の事は出來る、それで病氣位は癒る。
 そんな人間の心理狀態を催眠狀態に導かうといふような、下劣な事を賴りとして弘めるやうな法はいけない。それは宗敎の屬性といふことは言へるだらうけれども、本領といふことは言へない、そんな下劣な信仰では駄目だ。此一天四海皆歸妙法の願業を帯びて居ない者の唱へる題目は、題目にならない。三大秘法を拔きにした題目なら題目にならない。題目は題目の安心が立たなければならぬ。其條件の具備しない題目ならば、むやみに唯南無妙法蓮華經を唱へる法華行者がいくら殖えたって駄目だ。
(「本化宗學より見たる日本國體」『師子王敎義篇』より)

御題目②
 佛法の意匠といふものは、先づ意に思って、口に出して、それから身體に行ふといふ順序になる。身口意の三業といって、心におもふだけではいけない、これを聲に出さなければならぬ。(中略)佛も聲に依ってこの法を説いて、凡夫の耳から傳へられた。吾々が又人に傳へるには聲に依って傳へなければならぬ。(中略)其聲は自分に南無妙法蓮華經を聽かせるのである。人に聽かせるより第一自分に聽かせる。佛樣の前で題目を唱へるといっても、佛樣に聽かせる必要は無い。佛樣は説いて呉れた人だ。(中略)それを佛樣の前で言ふのは、「これで宜しうございますか」と云って檢査を受けに行くのだ。(中略)自分の聲で自分の耳に聽いて自分を鞭撻し、其聲が他に亘って又第二の人を同化する。虚空に響いて行って魔王もこれを聽いて恐れる。諸天善神は聽いて喜ぶ。十方の諸佛も歡喜する。あらゆる者がみな自受法樂の境界に入る。一遍の題目であらゆる者を靈界の中に包んで了ふといふ。何とも言へない壯觀である。
(「本化宗學より見たる日本國體」『師子王敎義篇』より)

妙法五字の功徳
 妙法蓮華経の五字は、天地法界の功徳発動の表式であって、吾等に真理を指示し正義を号令する所の本仏の威力のある声で、同時に吾等を徹底的に救ひ取る所の慈悲の符言である、この妙法五字で吾等といふものの正体を示し、真の姿を訓へたものであるから、これを口にし心に念ずる事は、あだかも家を忘れて彷徨って居たものが、之を念じ持つことに依って、父母の膝元たる自己の家に還った様なものである。この正法の信といふことから、自分の立場を固め、自己の本領本分を知って、永遠の闇を離れて本仏の光明の中に帰入する、そこで人生はあかるくなり安らかになり、個人から光が射して世を照らす様になる。(中略)別段個人的に良い人間に成らうとしなくても、法の力に引ずられて、否応なしに「円満人」となるといふのが、日蓮主義の個人観で、同時に究竟の人生観である。
(『日蓮主義概論』より)

日蓮聖人
 「善につけ惡につけ法華經を捨つるは地獄の業なるべし」と叫ばれた日蓮聖人の切言に、一たび耳を傾けて、泌々と此言を味って見なければならぬ。日本の「本當の價打」を顕はした日蓮聖人を、ただの宗教家や、ただの學者ぐらゐに考へて居てはならぬ、日本を根柢から活かした法華經の敎理と法華經の行者とを、他人扱ひにして七百年もムダに月日を送って、尊嚴無比の神國を五一三六の平凡國と同様に考へたはまだしも、却て凡國惡國の模倣までして得々たるが如き、何といふ愚かしい事であらう。これ皆みづからの國の眞價を辨へないから起ったので、眞劍に日本を護り日本を正解した日蓮聖人を忘れたからで、是を此のままで通したら、終には取返しのつかない事になって了う。今はモー其のせりつめた最後の鍔際である。今にして本心に立還らなければ、日本の大使命は闇中に消え去るであらう。
(『日蓮主義概論』より)

宗綱提要 一 如来出世の本懐
元來、佛が世に出現せられた趣意はといへば、一切衆生を御自分と同やうな樂みを得させたいといふのにある。佛と同樂みを得させるに就いては、佛と同考を持たねばならぬ。ここに於いて一切衆生に佛知見というて、佛の有して居る智慧を與へねばならぬ。乃でこの佛の知見といふものが注入的に他から強ひて注ぎ込むものか、又は開發的に自ら有って居ながら埋沒して居るのを啓いてやるのかといふに、一切衆生おのおの本來に具へて居るのであるが、衆生見というて、煩惱情慾の心が盛んである爲に、それが隱沒して居るのであるから、佛の化導としては、それを開發するのにある、それが即ち開顯である。元よりあるものを出すのだから、出來ない事では決してない、ただ開發の方法如何にある。ただ理論的に是のあれのと理屈で詰めたばかりで開けるものでない。元が理屈以外の情で籠ぢられたのだから、その情を融解しなければならぬ。則ち佛の智慧と慈悲との二つで誘ふのである。
(『師子王敎義篇』より)

宗綱提要 二 本佛釋尊金口の宣示
人を佛にするのが、佛の本懐である以上は、佛にすべき法を是非説かなくてはならぬ。人を佛にする法とは、佛の種たる根本智と根本慈との正體を明した敎行、則ち法華經である。然るにこの法華經を、如來出世の本懐と定めることは、如來みづからの宣告によったので、決して後世の論師や人師の推量臆断で究めたのではない。敎主みづから自己の宗旨を發表して、三世を貫いての化導が、只この法華經に在ると宣告せられ、殊にこの至法を貽して滅後末代の一切衆生を救はうといふ大慈悲の訓誡あるに至っては、何人も異念異議なく、一齊に法華經を奉じて、佛教の眞意義に接しなければならぬ筈である。然るに佛教諸宗の學者敎家は、おのおの自の見識を本として、毫も佛の宣示を重んじないのは、明に逆路伽耶陀である。(中略)法華經以外の經でも、多少の利益はあるからといふなら、それはその用に應じた部面だけに用うべきで、これを以て宗と定めるといふことはない。「宗」とは宗主といふことで、最尊無二として奉ずるの謂ひである。
(『師子王敎義篇』より)


宗綱提要 三 末法救護の憲敎
正しき法華經の時節として、混雑物なく純一に法華經を説いて、正式の濟度をするのは、在世では一代五十年の最後の八ヶ年、滅後では正像末の三時の中には、第三末法の時と、この二度にきまって居る(中略)
日蓮聖人の降誕が末法に入って百七十一年に當り、建宗が入末第二百二年、龍口の法難が第二百二十年、身延退隱が第二百二十三年、御入滅が第二百三十一年、斯く末法の初期法華經主義建設時代の正中に於いて、經文の豫證通りに、法華經の大精神を發揮なされての化導があったのは、全く天の成せる大聖人が、法性流化必然の救濟作用として、時代唯一の救護法としての正敎を開宣なされたのである。故にこの本化妙宗は、末法時代に於ける唯一絶對の憲敎である。憲敎とは凡此時代に生を得た者は、何人でも必ず奉ぜねばならぬ先天の約束ある敎法といふ事である。釋尊の嚴命、佛法の歸着、法界の樞機、天人ともに同歸する所の至法、國家も取って以て正式國敎となさねばならぬ、世界人類も最後の歸着をここに致さねばならぬのである。
(『師子王敎義篇』より)

宗綱提要 四 聖祖色讀の唱導
人の理性といふものは、眞理それ自身でありながら、第二性の迷妄心が全盛を極めて居るのだから、抽象的に眞理を會得するといふことは、百のものが九十九までの疑問(眞理を疑ふ心)を打破らない内は、半分で通用するといふわけに行かない。恰も一圓紙幣を半分に截って、之を五十錢に通用させるといふわけに行かないやうなものである。トいふものは、元來紙幣そのものは紙であって正貨でない、これが金貨と同じ資格に通用するといふのは、無形の約束が籠もって居るからである。然るに金貨はどうかといふと、半分にしても、十分一にしても、金は金だけの價値が、いつもその物體に存して居る。法華經の眞理を理性の方面から發揮しようといふことは(中略)今の世の中の樣な繁雑混亂の中では、トテモ滿足な結果は見られない(中略)理觀で修行を立てるといふのは六ヶ敷いのである。然るに之を理性力に訴へず、直に實地に行って、具體的に眞理の全面影を發揮するといふ弘敎法は、本化の敎として、末法時機相應の修行のみならず、佛敎本來の持前も全くここに在るのである。
(『師子王敎義篇』より)



宗綱提要 五 法界唯一乘の妙義
假性的の私心を去って法界一如の公心に還るのが、一念三千の法門である。(中略)眞の自己は常住不滅の壽命を有して、法界を身體とし、法界を心とし、法界を相として居る所の本佛である、これが自己の實體である。その實體へ還元するため、させる爲に敎法が必要となるのであるから、敎法そのものが歸着所を二三にするといふ理窟はない。必ず法界の實相眞性本體を確指して、二なく三なき唯一乘を標榜して居らねばならぬ。若爾うでないと、人の精神が區々になって理がつかない。二つも三つも目的が示されてあると、遂にその比較の爲に、一方には疑惑となり、一方には諍となって、安心を得べき敎法が却って人心を惡化し愚化するやうになって了うから、眞に社會を救はうといふには、先この法界唯一乘の主意に背った誤りの敎法理義は、悉くこれを打破って了はねばならぬ。
(『師子王敎義篇』より)

宗綱提要 六 思想道德の統一
法界唯一乘の眞相に歸着すれば、人間の目的が一途に決着する筈である。さうなれば世間に諍論の法が亡びて了ふから、世は眞の大平和に歸するのである。(中略)ヤレ個人主義、ソレ國家主義、西へ行け、東へ行け、天に上れ、煙になれ、愛だ、忠孝だ、いづれも善良の意思での主張だが、總勘定で差引すると、いつも諍だけが殘って、究竟の大目的に安住することが出來ないのが現世間の光景である。畢竟區々の思想が縦横葛藤を極め、道德の標準が一定して無いからである。これが根となって、人間に不滅の生命がなく、世に究竟の平和がないのである。之を統一して、區々の諍見を斷って了はうといふには、圓滿絶大の眞理の下に統一しなければならぬ、即ち法界唯一乘の妙義に依って整理するのでなければ、到底最後の平和は求められない。
(『師子王敎義篇』より)

宗綱提要 七 常寂光明の眞世界
此の世は眞の寂光淨土で、人生は此の上もない安樂光明の境界であるといふことを敎へたのが、法華經の眞理、本化妙宗の安心である。(中略)善良なる求道者は、みづから眞理を研究せずして、本佛の所説に隨順して、自己の理性を滿足するのである。換言すれば「佛は直に眞理」であるから、佛の所説指導に順ふのは、最も完全なる眞理の奉行である。それでこの世の中を直に常寂光土とするのは、この世界を本佛の土とすることが先決條件である。若衆生の土とすれば、いつでも穢土である、苦の娑婆である。それが吾々の上でも常寂光土となるのは、凡夫が即本佛であるといふ事が先決條件である。(中略)佛が衆生に成代って、衆生的にこの世を觀察して「苦の娑婆」となるのである。それが一旦本佛の境界に還元すれば、蕩然として本佛の自受法樂に同歸して了ふ。それが常寂光の淨土を感得したのである。
(『師子王敎義篇』より)

宗綱提要 八 閻浮統一の名教
『一天四海皆歸妙法』の大目的を以て、閻浮を統一せずんば已まぬと云ふが、本化妙宗の敎旨である。
本化妙宗の主義は、その淵源遠く釋迦如來より出で、その敎澤は末法濁惡の世を潤し、特に大日本民族の頭上に天降って、世界統一の率先者たるべく、法爾として先天の約束が備はって居るので、本化の大敎はこの日本國に建設せられた。それは日本の爲とばかりではない、世界人類の爲に、この日本に建設せられたのである、即ち日本が世界統一の使命を法華經から囑托されたのである。區々の宗見學見を統一して、人の歸嚮處を一定するに就いては、いろいろの惑を決し、さまざまの滞りを排はねばならぬ、標準を究めねばならぬ、旌章を鮮明にせねばならぬ、所謂「名敎」として人の心の目安を建てるの必要がある(中略)それは宗敎の五綱と、宗旨の三秘とである。
(『師子王敎義篇』より)

僧侶と在家
 佛敎の制度には、禁婬斷肉といって、坊さんは妻を帶せず肉類を食はずといふことになって居る、今日は爾ういふことをいっては居られないから、みんな矢張り妻も帶すれば肉食もする、普通の人と同じになった、坊さんとしてはそれはやることは出來ない、坊さんでありながらそれを行ふことは、佛戒違反だ、極めて重大なことだ、然し實はやってゐる、(中略)釋尊も祖師も許していない、その許していないことを犯せば此の上なき罪だ、ここに於いて今の所謂僧侶といふものは、昔いふ、佛在世にいった僧侶とは全然違ったもので、矢張り一種の在家である、その一種の在家が寺院に住して、佛敎の仕事を監督するとか、敎を弘めるところの職務を執る、斯ういふ意味でなければならぬ、今の所謂比丘は古の優婆塞なりといふ結論でなければ、金輪奈落肉食妻帶することは佛が許してない、
 (中略)昔いふ坊さんといふものは今は無い、無い方が本當だ、法滅盡經といふお經にも、末法には本當の坊さんはないといふてある、在家だ、在家の中で專門に佛敎の仕事をする職務が出來る、それが僧といふ名の下に寺院に居住するといふならば、それは普通の在家だから構はない、現に在家であるといふ立派な證據がある、それは現に名字を名乘って居る、佛は之れを嚴禁して居る、『四姓出家して本の名字を失ふ』といって、田中だとか山川だとかいふ名字を捨てる、家の名を捨てる、出家は家を出てしまふのである、又その國王を禮拜する事をも許さぬといふ、國王より以上のものであるから其が本當の出家だ。
 ところが今日は名字を名乘り、家を有ち先祖を奉じ、そして國家に對する義務をつくさなければならぬ、國民として盡さなければならぬ、坊さんは國民ではない筈だ、それが國民まで引き戻って來て、矢張り金がたんとあれば所得税も拂はなければならぬ、男ならば徴兵にもでなければならない。これは『兵奴の法』といって、坊さんが軍に從ふことは、絶對に禁じてある、それをも爲なければならぬ、もう出家ではない、矢張りただの國民だ、ただの國民の中の先づ宗敎家といふ一つの職業だ、高尚なる一つの職務となれば、それは構ったことはない、世間でやっているように肉を食っても可い(中略)
 さういったやうな鹽梅に、根本が違って來て居る、だから到底この時代に、其の行法を研究して、戒律とか坐禪觀法とかに心を專らにして、長年の間岩屋に閉ぢこもって考へることは出來ない、今の人間の氣力が耐へない、耐へないからといって、佛法を何うしても得る道が斷えてしまったかといふと、法行には耐へないが、信行には耐へるといふ、斯ういふ一つの門が開けてある。坐禪觀法をして智を練ることは出來ないが佛の法を聞いて直ちに信ずるといふ聞慧の分際に於いては、やれぬことはない、本當の觀念觀法といふことは出來ない。
(「本化の信」より)

法利の現実化
 「法」といってもいろいろの要素がある。その中核は即ち「理」である。この理を敎へにあらはしたのが「敎法」となる。その敎法を實行に移したのが「行」で、その行益に安住するものは「人」である。
 (中略)その「敎法」は人を相手にして説かれたもので、目的は「人」を眞理に還元安住させるに在る。そこで、其の敎へに得心がいって目が開いたら今度はそれを身に實行して、其理を現實化する段となる、それを「行法」といふ。つまり無相の理が有相化して、純理想が現實化して來るのが「修行」の要領だから、一旦深より淺に、廣より狹にと絞って來る。爾うして「人」の實地點に來て、仍で今度は力を中心的把住に注ぐ、忽ち深くなる。其深さを横に扱ふ、忽ちに廣くなる。一人一切人、一事一切事、一念に三千を具し、一塵に法界を含む底の妙用を發揮する、これが本尊行軌の感應實現した姿である。
(「法國冥合と本門本尊」より)

凡夫の成仏
 佛陀の世に出たのも本化上行の出現敎化も、すべては凡夫に凡夫以上の事をさせて、立派に無上道を行はしめようといふのに在る。ただ其の方法が凡夫細工では、いつまでも埒があかないし、指導者が不充分では、手際が本筋に行かないから、扨こそ深位の上行菩薩を召出して、この大役を命じたとある。卽ち其豫定通りに『上行出現』となり上行佛法の展開となったのである。『三大誓願』は本化上行の直願である、その願の中に這入れと吾等に訓へ命じたのである。(中略)されば凡夫がどうして聖の願業に這入り得るかといふ事、(中略)正しい敎へを正しく信ずることだ。(中略)只一心に大聖の願の中に自分を沒入して、『思召通り致しませう』といふ其れで可いのだ。小自己を沒して大日蓮の『大我』へ歸入して、その願を我願と爲し其業を我業と爲す時、凡夫はここに佛身を持ち佛事を行じて成佛するのである。
(「日蓮主義の願業 四 願業の聖化に憑る凡夫の成佛」『日蓮主義概論』第十講より)

自行化他
 或は言論に或は文筆に或は藝術に或は政治に或は産業に、あらゆる方面に此の正法の緣を擴大して行って、國家をして謗法から離れしめなければならぬ、これが先づ御妙判に示された身の謗法、家の謗法、國の謗法と、此の三つを免がれない中は、自分の役目は濟まないと思へと斯ういふ、自分だけお題目を唱へて成佛する、他のものは勝手にしろとやってゐては、法華經にならない、自分を離れて家はないといふ、家を離れて國はないといふ、此の根本に於いて渾然として一つのものであるから、彼方がたてれば此方がたたずで、兎に角一緒にたたなければならぬから結局は國家と一緒に成佛しなければならぬと、斯ういふことになる。
 だから我等の仕事の目的は國家に向って行かなければならぬ、此の約身、約家、約國の三つの三約離謗を完うして、はじめて自分の修行といふものが成就する、これだけは自行なんだ、その自行を提げて、今度は化他といって他を救ふ方に行く、それは何であるかといふと、今度は社會的に世の中を救って行かなければならぬ、それから今度は一般人類を救って行かなければならぬ、世界的に救って行かなければならぬ、即ち此の法華經の世界的進出である、人類社會の上にまで此の無上の寶を及ぼして行くといふのでなければ、法華經の趣意に相應しない。(中略)今一閻浮提は病に閉ぢられて居る。ヨーロッパは終に平和なき國なりといふ呻きがある、國際聯盟も年中ゴタゴタしてゐる、世界戰爭の後始末で、今以てその戰債賠償がごたついている。棒引運動も起ったドイツは最早國内に内亂が起りかけてゐる、共産黨が勝つとか、ヒットラーが勝つとかいって騒いでゐる、日本はこれを向ふ河岸の火事にしてゐることは出來ない、遠い國のことだから關係はないといっても、世界は一つの身體であってみれば、指の先に出來た腫物でも、身體中の痛みだ、ナニこれは痛いけれども小指に出來たから、場末の火事だから放っておけといふことは出來ない。痛さは身體が負はなければならぬ、何故ならば一つの身體である以上、その苦しみも同じく受けなければならぬ、隨って樂しみもさうだ、だから一心同體、どうしても切り離すことは出來ないといふ觀念の上から、世界を救ふといふのが日本建國の、人類同善世界一家の大理想だ。その大理想に魂を打ち込むものが法華經だ、だから結局これが世界的になっていかなければならぬ。
 世界的になって其の先はどうである、それから先はわからんといふことはない、矢っ張りわかる、けれどもわかってみても、それは餘りに現實から離れてゐるから、理想だけに止めておく、けれどもそれは大きいからといっても驚くことはない、宇宙といっても心の中に入って居る。先づ社會に及ぼし、世界に及ぼし、宇宙に及ぼす、天地法界がみんな此の妙法蓮華經の光の中に入る、人間以外のものといへば冥界のもの、上では天部の神下では下界の餓鬼惡魔などもある、目に見えないものもある、今ここに出て來ないから無いやうに思ふが有る。あるだらう、百鬼夜行といって人間でも此の頃は鬼の樣になって居る、その幽冥界のものにまで及んで行く、或は現象界の木や草木にまで及んで、妙法の光に照らされる、一箇の石にも皆法華經の光が宿って行くやうにして天物を損はないで活かして行く、天地萬物をして各々その所を得せしめるといふのが成佛だ。
(「本化の信」より)


関東大震災1
 前代無比の災害が國に下ったといふ事については、その當時の國民は無論誰いふとなく、これは天の誡めであるといふやうに感じて、一時は大變緊張した、然し今となってはもう咽喉元過ぎて熱さ忘れてしまひウカウカして居るけれども、歴史は繰返すといふこともある。天の誡めであると感じたならば、天は所以なく人を苦しめるやうな誡めを下すわけはないのだ、さうすると何等か人心に弛緩があったとか、怠りがあったとか、不都合があったとかいふことの決算として天が罰を下したものと看取するのである。さうすれば震災過ぎ去って、震災の跡はもう復興して何處を風が吹くといふやうに、本の通りになったとはいひ乍ら、所謂人心にして天の誡めを受けるやうな事柄が持続してある限りは、何時天譴が下らんとは限らぬ、古の聖人は『迅雷風烈には必ず色を變ず』といって、少しでも天から變を下した時は、これ人間の何かの過ちを天の誡めるものであらうといって、謹慎恐懼して天を恐れたといふことが傳へられて居る、今の人は餘りに物質的であり、科學萬能の世の中から育て上げられたといふ為めに、さういふ神秘的解釋とか道德的觀念とかいふものを全く度外視して、昔の人は開けないからさういふ事を言ったと一概にいってしまふ。
 成程昔の聖人は、今の人間よりは利巧でないかも知れない、非科學的であったかも知れない、風が吹いても地震があっても一一恐れて居たといふことは、笑ふべきであるかも知れない、併乍らこれを以て身を愼むといふ道義心の高調といふ點から考へて見ると、此のおどおどしたやうな天に對する愼みといふものの中に、非常に尊い奥底の知れない深味があるものと考へなければならぬ、昔は彗星が出たといっては天の誡めだといった、日月に變があれば、何か天下に變のある前兆だらうといって恐れおののいた、今ではさういふ事は一顧の値もないこととして、萬事物質的に解釋するけれども、何方かといへば、さういふ天變を見て自ら反省し、國政を正すとか行ひを愼むとかいふ方が、人間が一枚上だと思ふ、彗星などは何年目かにはきっと出るものだといって、知ったかぶりをして平気で居る人間よりも、其の解りきった彗星でも天に變調のあるといふことは、地上の何等かの變化が影響したものだと考へて身を愼むといふ方が、矢っ張り人間は其の方が用意に於いて高尚な點がある。
 (中略)今日頻々として來たる風害水害、及び交通事故といふやうなものでも、約めていへば人間の災害である、其の災害の中には人間の不用意から招いたものもいくらもある、現に風雨常なく、降らないとなれば何時までも降らない、降るとなれば忽ちに大水を出して洪水となるとか、山崩れがあったとか汽車が止まったとか、人が死んだとかいふことが絶えずある、これは何によるかいふと、唯天變だ地妖だとのみ言って居れない、矢っ張り人間の横着とか不用意とかが招いたのだ、天地の現象は矢張り人間の心の邪正如何が影響するものだといふ最後の結論は、何處までも動かない、人間は天地と節をおなじうするものだといふ大觀から見る時、災害を以て反省の料とするといふことは、人間の進歩性を意味したものである。
(「大震災擧國愕然」『師子王談叢篇(八)』より)

関東大震災2
 海軍の方の厚意で、軍艦を提供されて罹災民が來る、此方の者もそれに便乘して行くといふやうなことになって、其の中に鐵道が幾分開通したので、救護事業の大要を部署して東京に出かけて行った、先づ國柱会館を根城として、東京各方面に於ける罹災地を廻って、慰問と宣傳とを兼ねて救護運動をやった、それから醫師看護婦の類を動員して、慰問品を車に滿載し、それを曳いて方々に出かける、師子王醫院の醫者達は勿論、凡そ吾徒の醫者といふ醫者は皆總動員して、多くの看護婦を率ゐ、藥品その他の療養器具等を持って各地を經めぐって歩き、講演と施本と教護品の贈與と、それから施療とをやった。
 (中略)此の救護運動についても、さうやらなければおけない事であるからやったが、此の時に痛切に感じたのは、或る裏店の方に入って行って救護品を一個一個渡して歩くといふ時、巡査が立會って世話をしてくれたが、その救護を受ける人達が、中には非常に感謝して戴いて貰ふ者もあるが、中には不足なやうな顔をして、もっといい物をくれるかと思ったら、こんな物かといったやうな風をした者がある。甚だ不快に感じたら、其の時に世話をやいて居た警官が、斯ういふ事をやるのは善し悪しです、だんだん人間が増長して來るといふことを、警官が慨嘆して言ったことがある、世の中の慈善事業は斯ういった様な、人心に一種の弛緩を與へ退歩を與へるやうな嫌いがある、であるから慈善といふことは考へものだ、若し慈善をやるならば、徹底して正義の養ひを加へ、正義の觀念を起こさせるやうな方法の慈善でなければ、寧ろ有害であるといふことを、此の時に感じたことがある。
 (中略)佛教では性惡に同情するのを悲といひ、性善に同情するのを慈といふ、此の二つを合せて慈悲といふのだ、すると性善に同情することは慈悲の根元である、困ったものを見て、ああ困るであろう、これをやるから食べなさいといふのも慈悲の中ではあるけれども、それよりも困らないやうな方法を授けてやる、目の前の急を救ふといふ事の外は、根本的にその窮乏を癒やすといふ道を立てないと、本當の慈善にならないといふことを、此の震災救護の時に度々鼻をついて考へた。
 けれども斯ういふ古今無比の災害によって人が困って居るといふ中で、何といふことなしに先づ救はうと考へるのは當然であるから、救護隊を率ゐて吾輩も出た、けれども此の際に、自分が困ってゐても、其の窮乏した食物を割いて外の困って居る者にやるといふ人もあるし、さうかと思ふと、震災によって死亡した死骸の身體から指輪のやうなものを切り取って、ドッサリこれを針金につるさげて持って居たといふ者が現にあった、だから人さまざまで、斯ういふ時に持前の正義心慈善心が自然に出て人を感動せしめることもあるし、又持前の横着心不良性が現はれて、死骸の所持品など掠め盗って行くやうなものもあるのだ、であるから社會といふものは一律には行かない、(中略)正しい智慧の眼を以て善を勸め惡を防ぐといふ行動を取らなければ、眞の慈善にならぬといふことを、此の救護事業の時痛切に感じたことがあった。
(「大震災擧國愕然」『師子王談叢篇(八)』より)

関東大震災3
此の空前の大災害に際しての變に處してやった運動の中に(略)上野に救護隊を進めた時に、先づ第一に一驚を喫したのは彼の上野の大佛だ、此の大佛がぶち壞れて、首が落っこって全身破壞に及んだ姿は、如何にも悲慘極まったものであった、然しそれが爲めに大佛が壞れても佛樣の故ではない(略)要するに造り方が惡かった、惡かったから地震で倒れた(略)『佛像經巻僧等の利益は消えうせて、唯此の大法ばかり弘まるべし』と、大聖人が末法の名敎を裏書きされてある、であるから堂塔伽藍の末にのみ信仰をつないで居るといふことは、最早末法の敎法の精神ではないのである、宗敎も信仰も先づ第一に精神的に働いて來なければならぬ、それを形の上でどんな大きい寺を造っても、大佛を造っても、それを以て他に誇るといふことは既に佛の本領精神に違って居る、地震で落ちるといふのは、何方かといへば當り前である(略)その又潰れ方といふものが實に徹底して居る、そこで今の世の有樣、今の佛敎の有樣を、正眞正銘この通りの姿のものだといふことを目前に敎訓された如く感じたことである。
(「大震災擧國愕然」『師子王談叢篇(八)』より)

五・一五事件 
 主唱者といはれて居る井上日昭といふ人は、吾輩は會った事はないが、會て三保の講習會に來たことがあるといふので、本人自らも日蓮主義者であるといふやうな事をいって居るといふ。それから水戸の方に護國道場といふものを拵へて日蓮聖人を崇拜するといふやうな所から、如何にも此の事件が日蓮主義者の目論だ事のやうに世に誤り傳へられて、吾輩も往復の書狀などを開封され、頗る迷惑をしたことがある(中略)
 それにしても、幾ら國を護るといふ至誠心の發露だといっても、無闇に人を殺すといふことは爲すべき事でない(中略)
 會てもいったが、犬養首相が變に倒れる時、『話せばわかる』といふことをいった、これを吾輩は至言であるといったが、話せばわかるに決まって居る、其の話しやうが徹底すればきっとわかる、話さうといふのにそれを聞かずに殺すといふに至っては、もう單なる暴擧暴動といふに過ぎないことになる、此の一人一殺主義といふことは、方法の惡いばかりでなく至誠が淺い、所謂『事に臨んで畏れ謀を好んでなすものなり』といふ意味からいけば、盡すべき道はいくらもある、それから又正義を保護する正道を護るといふ立前からいふと、其の態度が必ず正々堂々として居らなければならぬ、正々堂々としてやって居ったのでは間に合はないこともある、徹底しないことも無論ある、もどかしい事も多い、多いけれどもそれが爲めに志を枉げるといふやうな事が出來たら、それは正義の誓にまだ缺陷がある證據なのだ、正を履んで惑はずといふ態度でなければならぬ、そこで吾輩は此の一人一殺主義といふことを聞いて甚だ慨いた、一人が一人を殺して居るといふことになると、妄想邪見の徒が多い時は、殘らず人間を殺さなければ埒があかないことになる、それよりも其の一人が一人を活かすのみならず、十人百人千人萬人をも活かすといふ態度を以て進んで行かなければ、増上縁の原則にそむく、惜しいかな其の志が正しくても、取るところの道を誤ったといふ爲めに、自らも罪を犯し天下を騒がし、おまけに多くの人を暗殺したといふことは、國家の大所から見て又深所から見て、これを是認すべきでない、日蓮主義者の手からさういふ企てが起ったといふやうなことが、世に喧傳されたといふことについては、一層慨歎にたへないと吾輩は思った。
 それから吾輩に縁故のある海軍の軍人が此の事件の被告人の一人になって居る、其の公判を聞きにわざわざ横須賀まで出かけて行った、ところが此の被告人はまことに純潔清浄な人格者であって、正義觀念の最も強い男であった、然し短懐粗暴のことは性格としてやらない男であった、だから同じ被告中でも先づ思慮のある方で、其の公判を聽きに行って居た時に、如何とも情ない世の中だと深く感じたのである、これは刄を以て人を殺すといふやうな手ぬるい方法ではいかん、天地を貫く程の至誠を以て深く人心の底までも喰入って覺醒させる大至誠の精神運動を起して、世を救はなければならぬ、それと同時に條理整然たる明瞭にして分明なる指導を與へるといふことを怠ってはならない、殺す者も殺される者も各々精神の把住にしっかりしたところがない、そこから斯ういふ國家の惱みを生むのであるからといふので、其の公判傍聽中に深く自分は感じたところがあって、大決心を起して根本指導を以て世に特別運動を起さうと考へ出した(中略)それが何であるかといふと、國家に對する根本指導を與へる、一つは深義解釋を以て國民意識の根元を覺醒させるといふ事、これは日蓮主義の組織的闡明を世に與へなければならないといふので、一ヶ年を期して「日蓮主義新講座」といふものを起さう、それから其の次に、國家の何ものであるか、それを内部的に國の體から觀察する方法、即ち日本國體といふものを闡明する、これは日本國體學の上からこれを明示してやらう、それが「日本國體新講座」で、これも一ヶ年を期して毎月一回出して、國體といふものを組織的に世に指導しなければならぬといふので、前の「日蓮主義新講座」が一ヶ年にして終ったから、次の年に又「日本國體新講座」を出した。
 此の二大講座を斷行することを、此の海軍の公判を傍聽した時に、その瞬間に決心したのである、それから日本國體のことは、差づめ世界的にこれを知らしめなければならぬから、其の國體講座だけを一面には西洋版を作って、英譯を以て普及を計り、一面には支那語に譯してこれを東亞版と名づけ、支那人に日本國體の何ものたるかを知らしめようといふ企てを起した。
(「五・一五事件突發上下震撼天下騒然たり」『師子王談叢篇(九)』より)

泰和の色
怨恨なきところ爭ひなし瞋恚(しんに、怒り)なきところ爭ひなし猜疑なきところ爭ひなし。爭ひは事にあらずして人に在り、人若し爭騒の彈力なくんば、事物融亮また澁滯なく波瀾なし。
萬古を一息と爲し、法界を一軀と爲す一念三千の信に活きん時、天地鬱然として泰和の色現ず。『唯圓敎意逆卽是順』の訓是也、ああ世は但法華經なり。
(「泰和の色」『國柱新聞』大正八年一月一日号より)

治道と實行
 日本建國の洪範としての敎へは、言辭を主とせずして、形規を主として居る、神勅は夥多の理義を條列せずして、唯一言にして要を擧げてある、その代りに百千萬言の結論ともいふべき形の表示たる「器」を以て敎の規程を顯示してある。
 大きく世界古今を達觀して、その國風を品評して見ると、日本を別にして、むかしから三大別に算へ上げると、印度は思考理義に長じた國、支那は禮儀典章に長じ、西洋は經濟功利に長じた國といふことに、處からでも時からでも、先づこの三つに區別されて略ぼ差支ない、ひとり此等と相對して全然別種の特徴を有して居るものは即ち日本の國體である。
 文字から言っても、印度の文字は理屈ぽいが、西洋の文字は實用的で、支那の文字は繁文縟禮的であるのが、いかにもこの三大特徴を表示して居るとおもふ。
 日本は獨りその葛藤より免れていづれの文字でも皆吾國の文字だといはぬばかりに、大きな顔をして、他の苦勞して拵へたものをぬくぬくと默で使って居るのを見ても、いかに其親方的なるかが判るであらう。
かく大らかなる分野から割り出して、日本の國運が創作的でなく研究的でなく辨解的でなく、拜命的でなく、勤勞的でなく、唯整理的實行的であることが、その建國の深淵なる事縁と、その抱負の絶大明徴なるに照らして知れるではないか、「天壌無窮」といひ、「乾靈授國」といひ、「就治」といひ、「積慶」といひ、「重暉」といひ、「養正」といひ、「八紘一宇」といひ「六合一都」といひ、「天業」といひ「天日嗣」といふ大抱負に照らして、どうして是が通り一遍の月並式建國談として看過ごされよう。
 日本の國運國命は、理屈や下廻りでなくて、「統治」の天職といふことに先天的歸着して居る、故に説明でなくて實行である、實行の表式は、言説でなくて形規である乃ち形規の唯一表式として器で理法を代表させてある。
(「神武天皇の建國」第廿三回『國柱新聞』大正二年三月十一日号より)

唱題読経の意味
 大體讀誦を奬勵した修行は像法の行で、末法立行の精要に背いて居る、多讀を以て功徳あるもののやうに解し來った爲に、宗門は斯く雜亂したのである、唱題に就いても、宗門の惡俗としてよく言ふことだが『お題目何百遍唱へて此の御符を服め』とか、『何千遍唱へて祈願せよ』とか言ふやうなことを曰ふが、以ての外の事で、畢竟これは彼の千部讀誦だの千巻陀羅尼などの惡例から馴致し來ったものであらう(中略)一たび末法に入て、本化の明敎が顯れて、文上の法華經を超絶して、佛意の法華經たる妙題を發揮宣傳なされた曉(中略)既に文上の法華經でない、意の法華經である所のお題目には、何遍で利くといふ、數量的功能を認むべき謂がない、助行として用ゐる經文も、その通りである、若百部よりは、千部の方が利き、千部よりは萬部の方が利くといふのならば、これは價値の劣等なることを證するの謂で、功德の淺薄なるものだといふことになる(中略)
 題目でも經文でも、一生涯に一遍の唱念讀誦である、終身唱題讀經の中に在るので、音聲文句は切れても、意はいつも相續して居るのでなければならぬ、『一唱も少しとせず、萬唱も多しとせず』要は何遍とか何巻とかいふ數量を亡して、たゞ一遍の題目を、ありがたくて止すに止せぬから、唱念相續して、唱へ續けるのである。何千萬遍に及ぶとも、唯一遍の題目であるといふ心得でなければ、當家の唱題修行でない、それであるから珠數などといふものは、つまり無用の贅器である、數へないならば數へる道具は要らない、念々相續といふことが大事である(中略)更に信念安心の進むにつれて、唱題讀經が禮讃勤行の上ばかりでなく(中略)往來周旋のすべて、言ふのも歩行くのも、人に接するのも、織るのも耕すのも、悉くこれ佛事にして、身體で題目を唱へて居るのである、これは顯著には一生涯のお題目、冥々には生々世々の唱題で、天地法界と共に妙法蓮華經の一大法樂に安住して居るのであって、久遠已來盡未來際の大永久に亘って、たゞ一遍の大唱題であるといふ觀念が發生し來たらねばならぬ。
 本尊さまに對って唱題讀經こそよくするが、人間に接し、世に處するに就いては、少しも題目的でない、乃ち法華經的でない、むきだしの凡下劣想で世を送るといふやうな振合ならば、唱へた題目も讀んだお經も、畢竟して何の益にもならぬではないか、佛さまに對ってお經をきかせたといふだけに歸して了ふ、それで何の功能がある、佛はお經の説き主であるから、吾々凡夫から聞かせて貰はないでも、既に已に善く御存じである、むしろ難有迷惑かも知れない、それで結句、自分は幾分の暇を潰しただけが損になる、眞に無益の至りではないか。
 畢竟佛前に於いて、唱題讀經するといふのは、この通りの心この通りの所作を以て、身口意三業に、法華經を持ちまするから、御安心下され、就いてはこの御報恩に捧ぐる法味をお受け下されと、一は報恩に擬し、一は修行の策勵として對佛禮讃をするのである、心にも身にも相續行用しない癖に、佛祖の前だけでヂヤヽブヂヤブヽをいくら行っても、そんなものは結局一種の僞善虛儀であって、信仰上何等の價値のあるものでない。
(「南都佛敎の古跡に對する吾人の觀察」『師子王信感篇』より)





不滅の洪業
 明治天皇御一代の洪業は 皇祖 皇宗を再現し、天壌無窮の列聖を豫表したまへる模範國君なることはその垂れさせられた施設大訓が 皇猷大謨全部を完備して、一點の遺漏なき點に於いて、萬世上下の大師表であらせられるからである、御歴代のおん内から、他の列聖を差置いて、特に 明治天皇だけを別段に尊敬するものと考へてはならぬ、時に中して帝業を完成されたる中心目標として、明治天皇へ集中することは、それがヤガテ列聖を尊崇する意義となるのである、明治天皇を崇敬することが深ければ深いだけ、今上天皇を篤く崇敬し奉る意味になると考へねばならぬ(中略) 明治天皇の敎訓を實行することほど、今上に對し奉る忠節はないのである。
 卽ち 明治天皇は、御一代の英主でなくして、萬代の光たる「聖標」であるから、永久不滅の 明治天皇である。
(「巴雷偶語」『師子王警策篇』より)

國おもひ
 政治を行ふものは、第一の資質が「國おもひ」でなくてはならぬ、それも感情的ではいかぬ、必理智の基礎に立ッての忠誠感覺から發した「國おもひ」でなくてはならぬ、「感情的愛國」で間に合うのは、要塞總功擊の時の突貫戰の場合だけである、政治家と軍の將校は、わけて理性感情の渾融した愛國心でなければならぬ。(一般國民も兵卒も爾うだが)國を料理するものに、此の本分を缺いたら、内治に在ては民を謬り、外交に在ては侮りを受く、今の政治家を試驗する唯一の標準は、是だ、その試驗科目の第一は、國體觀念の有無厚薄である、日本の政治家は、何よりも先に何よりも篤く
「日本國體學」を研究しなければならぬ。
(「巴雷偶語」『師子王警策篇』より)

戰ひ
 戰はんが爲めの戰ひは、亂の母胎にして亂の持續相である。「王者の師は征ありて戰なし」とは、戰はざらんが爲めの戰ひである。吾が皇軍の眞意と眞價は、この王者の師なる點に存して居る。今の支那は是れと正反對だ、歐米諸國は、どちらにも附かざる模稜性のもので、都合次第でどうともなる極めて不正直なものだ。亂暴で無茶だが支那の方が寧ろ露骨である、どうせ騙詐僞瞞は無道者流の常だ。然し他が無道だからとて、こちらは其れをまねるには及ばない、否彼れが無道なればなるほど、こちらは正しくあるべきだ、この正しいといふ事に眞の強さがある、正しいものは底知れず強い。軍人のみでなく、國民の全部が此意義を徹底覺悟すれば、世界のすべてに對抗しても必ず勝つ。太陽の偉力が萬物の中に一番卓越して居る樣にである。日の國だ、日の民だ。
(『大日本』昭和七年七月三日号より)

平和
平和來らんとすといふ、善哉、殺人運動の休止は、人類一般の望む處なり、只此の大戰を機として、人間の世に復と斯くの如き悲慘事の根絶せんことを望まざるを得ず、巧みに人を殺すことを以て、智識文明の究極と爲しつゝある間は、政治も哲學も宗敎も道德も、俱に其の本領を竭くしたるものにあらず、人類最後の到達點は絶對平和に在り、釋尊と神武天皇とは最も早く之を高唱して道を布き國を建てたり、日本國體と法華經の事理一雙是なり。
(「師子王瑣言」『師子王警策篇』より)

大御寶
神武天皇は、われわれ國民を「大御寶」と仰せられた。(略)人民が大切であるといふのは、つまり大勢で働いて、さうして租税を出して國用を達して呉るから大切だといふわけではない。そんな意味でなく、 神武天皇が人民を尊重して大御寶と仰せられたのは、この日本建國の大精神たる所謂日本の國體、「慶びを積み」「暉を重ね」「正を養う」と 神武天皇は仰せられた。此の建國の三大綱を、大公至正の態度をもつて世界人類に向つて押し弘め、そして世界に絶對平和を建設しやうといふ大事業が日本の事業であつて、その爲めに日本といふ國家が要る。その爲めに日本の天皇といふものは存在して居る。その爲めに日本の國民といふものは入用である。(略)だから國民は 
天皇陛下から云て大切なものである。
(『如何に國を興すべきや』より)



御題目の功徳
吾人が修行においては、 聖祖丈けの御理解を備へて始めて成佛し得るのではない、それでは億萬人にただ一人の成佛のみとなる、四海歸妙などは到底不可能のことである、一丁字のない愚者でも、大學者大智者でも、 天子でも、平民でも、財産家でも、乞食でも、妙法の前に出ればみな同じ兒童である(中略)ただ本佛本化のみ敎へに從って、正しき妙法の信仰安心が立ちて三業に唱へ奉れば成佛するのである(中略)經の意にさへ違はねば、  大聖人の御題目を唱へた御功德も、いかなる爺媼兒女の唱ふる題目の功德も、少しも相違はない(中略)即ち題目其物の内容の道理法門は必ずしも知らないでも、 大聖人の敎へ誡められた諸ろ諸ろの掟てに隨って唱へればそれで成佛するのである、宗學をよけいに知って居るから成佛するのではない(後略)
(「觀心立行」『日蓮主義敎學大觀』第五巻より)

真の平和
一體、法華經を、佛敎の中のお經だと考へてゐることが間違ひのもとだ。法華經は何よりも、人間の最後の決着と世界の最後の結歸を敎へたもので、今この法華經と、日本國體とをよくよく考へてみると、殻は二千年の前に出來、中味は七百年前に開示されて、今日此時を待つてゐたのだ。その目的は何だといふと、人間の絶對の平和である。今日まで言來つた所の平和はこれに比ぶれば、爭ひの前の休憩時間にすぎないものである。(中略)始終爭ひの絶間のない人間、その人間に爭ひのなくなる方法といふものは何であるか、卽ち一念三千の全法界を以て自が當體なりとする大安心に徹底することより外にない。この大安泰に導かれた文明こそ眞の文明である娑婆卽寂光とは卽ちこの事に外ならない。
(「國柱會新年會に於ける講話」『國柱新聞』第二三五号より)

次第開宣
開敎の式には、二段の用意があツた。己證(こしよう)の内容を打出すには、人間を相手にせずに、天の日輪をのみ相手にした、卽ち建長五年四月二十八日の曉天に、清澄の山頂で、太平洋上を搖ぎ出た旭日に對ツて、『日蓮が魂』とされた南無妙法蓮華經を唱へはじめた。是れは滿腹の經綸が潜んで居る主體の法だから、此時の上人は、直ちに靈山會上の釋尊に接し、胸中の深祕を包んだまゝ、誰れ憚る所なく肚の中を露出したのである。一念三千も、三大祕法も、三諫も四難も、三災七難も、蘊然として、心頭氣宇の上に描き出されて居たことは、後年上人みづから此時の開宗を追懷して、『是れ日蓮が今者已滿足なり』と曰はれたので明かである。然るに此一段は己心所行の大法だから、天地日月を相手にしたので、何事も一切「先刻御承知」の場だが、その日の午時に、今度は僧俗大衆を集めて、いよいよ人間に聽かせる段となツて、その相手が人間だから、人間に會得(のみこめ)る樣に發表しなければならぬ、所謂「南面堂」での説法を序開きにして、この曉天に日天に對して唱へ出した南無妙法蓮華經の全部を展開全現し終るまでは、順つぎ善く繰り展(ひろ)げて與へねばならぬから、『説は必す次第あり』の原則どほりに、出して可い時に出し、顯はして可い時に顯はす段取となツた。といふのは、人間が天のやうに物が解ツて居れば佳いが、爾(さ)うはいかない。足許さへ分らないで穽(あな)に墜る樣な朦昧(もうまゐ)さと、鼻をつかないと解らない遅鈍さとで、おまけに執着が深くて我慢心が強いと來て居るのだから、直(すぐ)素淳(すなお)にオイソレと行かない。そこで、いろいろの證據を見せ、段々と領會る樣に手數をかけて、然る後、一枚へがしに見せてやらねばならぬので、一つ一つ順を逐ッて得心させる必要が起る。依て人間相手の段となると、『淺きより深きに至り』『卑きより高きに登る』の階段を踏んで順々に大事を顯はして行く事になる。それが上人一代の化導に、「序」「正」「流通」の三段節の次第ある所以で、こんな面倒な思ひをするのも、人間や世の中といふものが、地體こんがらかツた面倒なものだからである。現に法敵でも三類あるが、一返には出ない。三類のこらず出切らない間は、本化上行の仕事が完成しない。末法を映し出した法華經の明鏡も、顔を出さないうちは影は映せない。すべてが出切ると、すべてが顯はれる。その面倒を見つゝ、徐々に幕數場面が進んで大詰に達するのが、對世間の化導であるから、破邪の法戰でも、敵の全部を一返に攻め落すわけにはいかない。斥候戰で捷(か)ち、敵の前衞を滅し、而して後敵の中堅に迫る樣なもので、「諸宗無得道」といふうちには、すぐ目の前の國害になツて居る「禪」と「念佛」とを先きに攻め、「眞言」と「僞天台」は後まはしにされたのは其の爲めであり。「三大祕法」で、題目は開宗早々、最先(まつさき)に發表したが、「本尊」は三類の強敵が出揃ひてそれから來る迫害も全部身に受けて、いよいよ本化上行たるの證據歷然たる上でなければ顯せない。「戒壇」も内容の準備は充實されたが、實地の築壇(ちくだん)は、一國同歸の後を待たねばならぬ樣に、事々に順序を正して展開して行く、それが「次第開宣」といふことである。
(「第三篇 立正の序戰 第二十章 中央集權に肉迫して鎌倉に入る」『大國聖日蓮上人』より抜粋)



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