真世界提言

ここでは、機関誌『真世界』等に掲載された、国柱会教職の寄稿を中心に紹介させていただきます。


コロナ禍に思う  国柱会講師:坂井道夫◇

 令和元年12月、中国武漢を発祥の地として新型コロナウイルスが発生し、2年になると潜在したウイルスは世界を席巻し始めました。起因はいろいろ取り沙汰されていますが、5月3日現在で、日本では感染者1万4877人、死亡者517人、回復者4211人。東京都4331人、死亡者19人、回復者59人、世界での罹災者142万1834人、死亡者24万3529人、回復者109万2715人を数えています。未だ止まる気配は見せていません。数字は時と共に増減があることは当然です。
 自然災害を含めて、こうした災害が起こると、ハード面の追及が始まるのが常です。科学思想、経済分析が起るのが今日科学思想全盛時の当然の成り行きです。何処からなぜ起こったか、先ず追及されます。自然災害は天然自然に属することが多いですが、その原因をわたし達の異常な経済活動に求めることが多くなりました。近年その最たるものが二酸化炭素の排出に拠る大気のー地球環境―の汚染です。津波、突風、竜巻、大雨、河川の氾濫、等々科学の目が入り検証がなされています。信頼し得るものとして、地殻の変動は兎も角として、人為的な起因―二酸化炭素・ヒートアイランド現象などが指摘されています。その真実性を論議する資格は私にはありませんが、コロナ禍が憂慮されるに及んで、「生命とは何か」とか「動的(どうてき)平衡(へいこう)」とかいう言葉が生物科学者の方から出てまいりました。「私たちも宇宙の一部」という語に遭遇してふと我に返りました。「わたし達も地球の一部」という言葉は仏教では既成の、というよりは仏教教学当然の発想です。
 釈尊は「わたし達も宇宙の一部」即ち宇宙の真理(諸法実相=すべてのものは宇宙の真実の姿)であると覚られて「さとり」を開かれたと言われています。その実例が「五大」を覚って悟りを開かれたと言われていることです。「五大」とは勿論「地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)・空(くう)」のことです。地とはわたし達の身体のことで、水とは血液、火はエネルギー・熱、風は空気、それらが空の中に泰然と存在する。というのがその根拠です。
 しかし、ご存知の「諸行(しょぎょう)無常(むじょう)」という言葉があります。すべては移ろい行くもので、昨日のわたしは今日のわたしではありません。今(現在)という存在は、昨日(過去)の存在でも、明日(未来)の存在でもありません。しかしそのどの存在も瞬間瞬間が、時々刻々と今に接していて、今といった瞬間が過去になります。今は無いも同様です。存在したと云えば、それは過去のわたしであり、存在すると云えばそれは未来のわたしになります。今は無いというより外はありません。
 科学者は表現の方法が違います。例えば、人間の細胞は絶えず作り替えられています。昨日の細胞は今日の細胞ではありません。肉体も、骨も、血液も、すべての細胞が日に日に、刻々と作り替えられていくことをわたし達は知っています。にも拘(かかわ)らず、わたし達は昨日と同じであるかのような顔をしています。(実際は歳をとっているのでしょうが)。此の事を新陳代謝(しんちんたいしゃ)と言っています。昨日と今日が違った人間ならば、昨日の人間は存在しないも同然です。存在しなくても存在していると感じている。それと同じです。
 代謝と一口に言っても、細胞の中でどういうことが起っているのでしょうか。創造と破壊が常に起こっている訳です。破壊されていくものがなければ一方的に作られていくものばかりではありません。諸行が無常であると同様、肉体も諸行無常と同様、同じ時間帯で、今存在するために平衡を保つときがある筈です。これが「動的平衡」と言われるもので、諸行無常で述べた、「今は無い」という時間軸のなかにあり、人が、細胞が「生きる」ことだと思います。
 仏教ではすべての存在は夢幻のようなもので、事実としては存在しない、と言われています。そういう世界は一旦出て、外から見ると良くわかると言われて、家を出たのが「出家」(僧)です。彼等は空の世界に言ったと言われました。そこで彼等だけ「僧伽(そうぎゃ)」という集団を作り、規律(戒律)を決めて仏道の修行をしました。しかしその「空」の集団も存在しない、出家前の世界(有(う))があっての空だと言われるようになり、有でも空でもない(非有(ひう)・非空(ひくう))、或いは有でもあり空でもある世界(亦(やく)有(う)・亦(やく)空(くう))中(ちゅう)を想定して、本当は空(くう)・仮(け)・中(ちゅう)の三つが円満に交じり合って(空(くう)・仮(け)・中(ちゅう)の三諦(さんたい)円融(えんゆう)する)姿が本当の姿であると言われるようになりました。仏教では存在をそのように捉えます。それは生物学者の云う「動的平衡」のプロトタイプでもあります。
 ちなみに、刻々と作り替えられていくことを自己増殖(じこぞうしょく)というならば、ウイルスは自己増殖はしないと言われています。その代り、他の細胞内に入り込み、その力で増殖するといいます。そして長い目で見れば、その細胞を進化させ、他のウイルスの防波堤にもなると言われています。そもそもはウイルスはわたし達の遺伝子の一部がわたし達から飛び出したもので、いわば里帰りのようなものだとも言われますが、何故宿主とも呼べる元の細胞がそんなことをするのか。他のウイルスの防波堤になることを承知で、危険を冒しながらも、里帰りのウイルスを歓迎しているとも考えられるということです。ウイルスが絶滅するとは考えられません。末永くお付き合いするというのが本当かもしれません。人類の七、八割が免疫(めんえき)を得れば風邪程度で済むというのが専門家の見解です。
わたし達が云う「妙」を発揮しているのです。宇宙万物が持っている妙を表わしていると言ってもいいかもしれません。
 しかし、当面危険極まりない新型コロナウイルスの為に地球上全世界が右往左往し、方策に悩んでいることは事実です。
 世界が等しく打ち出した政策は、経済活動の縮小です。西洋発祥の科学的思想の浸透は目に余るものがあります。人は楽を求めて彷徨(さまよ)います。娑婆(しゃば)世界(せかい)というのは忍苦の世界と訳されていますが、人は楽のみを求めます。戦後、いみじくも、アーノルド・ジョセフ・トインビー(1889―1975)が「近代化とは西洋化にほかならない」と喝破した言葉は耳朶(じだ)に残っていますが、おなじく「キリスト、釈尊、老子はそれぞれ自己の主張は譲らなかったが、声をそろえて言ったことは、物質的な富の追及はまちがった目的である」と言っていると、彼は云います。富とは現代では楽と直結しています。
 わたし達は「物質的な富の追求」に走り過ぎているのではないでしょうか。
 科学への信仰は、現代知識人の特徴であり、西洋文明は結果的には技術と結託して快楽を生んでいきました。現代はその文明に酔いしれていると云っていいかもしれません。
 そんな中でのコロナ禍です。経済の縮小は奇跡的に燎原(りょうげん)の火を食い止めようとしています。政府の緊急事態宣言に右往左往し、その本質を理解していません。外出の自粛、三密の制限、マスクの着用等とぐらいに考えています。そして宣言の解除に悦び元の生活に返ることを夢見ています。病膏肓(やまいこうこう)としか言いようはありません。政府をはじめ多くの人が、一時避難の時であり、時が過ぎればもとの生活が待っている、と考えているようですが、このウイルスの蔓延を食い止めたのは一に経済活動の縮小でした。
 ドイツの哲学者・詩人マルティン・ハイデッガー(1889ー1976)はその「弁明」の中で「人類は技術の時代に、いかにしてどのような政治体制と対応させうるかという決定的な問題を解き得ずに、滅びるであろう。」と言っていますが、問われているのはそこです。いかなる政治体制がこの時代に対応できか。
 結論から先に言いますと、経済を縮小すべきだと思います。今度のコロナ禍にドイツ国民が一番満足したのは経済保障の大きかったことだと云う事です。日本も国家予算の一年分を上回る百何十兆という補正予算を組んで保証しました。それでも充分という声は聞こえませんでした。それどころか飽くところのない保証が求められています。人々の驕(おご)りとしか見えない貪欲さに政治がどこまで対応できるか。政治が労働に対する評価をどこまで見直して、企業の組織を再編していくか、労働者側の労働に対する認識をどう変えていくか。コロナウイルスは、テレワークを初めとして労働に関して篩(ふるい)をかけました。職種にもよるでしょうが、要と不要の篩(ふる)い分けを余儀なくしました。
 それは、労働や、労働界ばかりの話ではありません。文化文明の話でもあります。
 矛盾律に頼って発達してきた西洋文明は東洋のレンマの思想も考慮に入れながら発達していかなければならない時期が到来したと思います。レンマの思想とは非矛盾律、AはAであってAではない、これは二であって二ではない(二而不二)、邪正一如、一即多、東洋には矛盾を厭わない様々な表現があります。また、これかあれか、ではなくこれでもありあれでもある、という表現、あれかこれか決める時どちらでもいいという表現もあります。これがレンマの思想です。ロゴスが砂漠の思想なら、レンマは森林の思想と言われています。もう五十年も前、わたしは「群と個の間」という評論を書いた事がありますが、図らずも今、コロナの記事を見ていて、「コロナウイルスは代謝も呼吸も自己破壊もしないとすると生物ではない、かといって無生物でもない」という文に遭遇して、この曖昧さに旧論を思い出し、レンマを髣髴としました。レンマとは所謂ロゴスによって割り切ることのできない感性であると云ったがいいかもしれません。
 兎も角も、西洋に起源をもつ、科学や合理思想は既に閉塞状態にあると云えます。金科玉条のように守ってきた西洋的民主主義も崩壊寸前です。アメリカにしてもヨーロッパにしても富貴快楽の夢を見るばかりです。
 わたし達にとってはもっと大切なものがあることに気づかなくてはなりません。
                              (転載元『妙梳』令和2年7月号 九州地方連合局発行)



新型コロナウイルス感染により明らかになった事と日本および私たちの役割について 
                                                 国柱会講師:吉岡慶史◇

 新型コロナウイルスの世界的感染拡大で、明らかになった事があります。
 日本での「マスク」「医療用感染防護服」等の極端な不足は、製造・供給元はほとんどが中国で生産された輸入品に頼っていたこと。それと感染は人体を媒体として、人からひとへの「横」の感染で、ほほ同時多発的に全世界に拡大していったことです。
 まず、「マスク不足」は、資本主義的観点から、各国で割安に生産できる製品を製造し、お互いに輸出入し合うことで、製造コスト削減を目的とする「相互依存体制」を基本に、各国の生産政策が進められ、「全世界的国際分業」が過度に拡大していた事でした。
 例えば、日本の得意とする自動車生産は、諸外国で製造し、輸入している部品がストップし、一時的に国内の生産工程に影響(製造中止)を受けました。マスク不足は、軽作業で素材・人件費が安く製品コストが低下な中国製品の輸入(ほぼ100%に近い)に頼っていたことです。
 コロナウイルス感染は、次々に各国へと、ほぼ同時多発的に拡大し、この過度な相互依存の国際的分業体制は、反って世界各国の経済活動のネックとなったことです。(生産・経済活動中止等)
 そして、「人間社会(生活)の仕組み(システム)」においても世界的に明白になったことがあります。
 それは、感染防止対策(例えば、都市封鎖や給付金等対策)および医療体制において、世界(特に米国)に蔓延る「人種差別」問題と「貧困・格差拡大」問題が浮き彫りになった事です。
 経済を中心とした「過度な生存競争」と「国家権力と(個人の)人権」が絡んだ問題です。個人・民族・人種・社会・国の間での経済(欲)的生存競争による格差(貧困と差別)問題です。自分だけ良ければ、自分の民族・人種だけ良ければ、自分の地域・社会だけ良ければ、自国だけ良ければ、という「競争と対立」の構造です。つい最近(今でも)まで、〇〇ファースト、××ファーストの政策を掲げていた大統領、知事等がもてはやされていました。(イギリスEU離脱もありました。)
 日本でも同じく、「緊急事態(自粛要請)と給付・助成(金)申請」問題、「給付・申請事務システム(給付の遅さ)」問題、「学校」問題、「SNS上での誹謗中傷」問題等が発生しました。
 一方(日本だけでなく各国でも)、あらゆる分野に妙法が活きていることも闡明になりました。高い感染リスクの中で、医療現場の最前線スッタフ(医師・看護師)やゴミ収集の皆様の奮闘はもとより、検査・関係行政機関、関係専門家、宅配・スーパーの皆様、罰則のない中で自粛(三密防止)を行った国民、それぞれ国民すべてに、根本に個々の使命・役割を果たすべく、妙法(私たちを包み込む)が行き亘っているという事です。
 今後は、第二波、第三波が予測され、さらに医療・検査体制・経済支援の充実が図られています。人類の英知結集によるワクチンの開発、各種薬品開発と医療対応も進み、間もなく収束すると信じます。
 感染を収束させ、経済活動回復させるには、人種・民族・国を超えた何らかの方法で統一するという「宇宙の摂理(人類の倫理)」が必要です。
法師功徳品の中に「諸々の所説(科学・医学・哲学・文学など)の法、其の義趣に随って、皆実相と相違背せじ。若しは世俗の教書(道徳・倫理)・辞世の語言(政治・法律)・資生の業(実業・経済)等を説かんも、皆正法(法華経の正意)に順ぜん(随う)」と仏は説いておられます。その縮図が大曼荼羅の御本尊であります。
 まさに、この事です。ここに日本の役割と本化妙宗国柱会(会員)の使命があるのです。
【日本と私たち国柱会会員との役割について】
 今回の新型コロナウイルス感染拡大を因・縁として、人種・国民および国際社会の分断を生じました。さらに、感染終息のための医学的・科学的なワクチンや薬の開発競争および終息後の経済復興競争は、絶対的平和国際社会の誕生ではなく、かえって新たな分断世界を生み出す結果にしかなりません。経済的力を背景とした国家間の「競争と対立」です。一時的な「力のバランス」によっての表面的な平和的世界になるかも知れません。しかし、何かの要因でこのバランスが崩れれば、また同じ事となります。繰り返しです。
そこで、何を以て今回のコロナウイルス感染「収束」を図り、どのような「真世界」を創っていくかです。これが(重要な)問題なのです。
 それは、本来の姿である「宇宙の摂理に宇宙に存在する一切が同化しよう(事の一念三千と諸法の実相)」とする本佛・本法・本化の仏教(宇宙の摂理で包み込む)よって解決するほかないのです。
もともとこの新型コロナウイルスも私たちと同じくこの宇宙法界のなかに存在して(諸法実相)いるのです。終息でなく、収束なのです。
 諸法実相とは、本佛の実相があらゆる(一切の)存在の中に現象として顕われていることで、これが宇宙の本体なのです。本佛の一念(一瞬、一瞬)があらゆる宇宙の存在に行き亘っており、あらゆる存在の一念も本佛の一念に通い亘っているのです。(事の一念三千)妙法五字・七字のなかに全てが収まっているのです。お曼荼羅の形藐なのです。
 人間界(六識)の業欲によって、ウイルスが人間の体内に侵入し、培養・感染して拡大しているのです。人からひとへと横に全世界的に感染拡大し、人命を奪うのみならず、人類社会の仕組みまで破壊しているのです。機・時に応じた感染と結果(報)なのです。このウイルスも妙法五字七字の法体の中に収(束)める事が必要なのです。
 私たちを含め、存在しているすべてのものは、それぞれ外見は違いますが、誰でも(すべての存在)が内面には佛性(平等)があります。外見は違っているのが当たり前です。しかし内面には平等(仏性を持っている)なのです。外面の差別(相違)に内面の平等(佛性)があり、内面の平等(佛性)に、外面の差別(相違)があるのです。しかし、内面の平等(佛性)はそのままでは開発外面に(佛)功徳となっては顕われないのです。元品の無明を打破し、元品の佛性を開発(発揮)する(本佛縁起の)修行が必要なのです。これが本化の修行方法なのです。内面の佛性(種)の開発修行は、妙法五字・七字(要法)なのです。(佛乗種)
妙法五字・七字に照らされて、始めてそれぞれ分々(外面の違い・差別を活かし)の本来の生まれ出された役目・使命が現実の社会で発揮できるのです。私たちも、それぞれの立つ位置で回りを光で照らすことが出来るのです。
 このように、お曼荼羅(本佛の本体)の中央の南無妙法蓮華経の光明に照らされた中に、私たち衆生を含め、三千世界のあらゆるものが存在しており、分々の光を放ち、また照らし合っているのです。
これが本佛から本化上行菩薩(日蓮聖人)に直伝され、日蓮聖人から私たち地涌の菩薩(本化妙宗会員)に授けられた南無妙法蓮華経なのです。日蓮聖人(上行菩薩の霊格)は、その内容をお曼荼羅として末法の私たち衆生(救済)のために、お顕わしになったのです。お曼荼羅は本佛の本体(姿)であり、お悟りであり、教えであり、修行法であり、末法時代の法界の成仏(当然、私たち衆生の成仏)の姿なのです。私たちの成仏の姿は、本佛の功徳の中に、全てが活かされ、共に活かし合っているお曼荼羅(佛国土)の姿なのです。
久遠本佛は寿量品で「つねに自らこの念をなす、何を以ってか衆生をして、無上道に入り、速やかに仏心を成就することを得せしめんと」と法身(真理)、報身(智慧)、応身(慈悲)を示し、久遠の説法を垂れておられます。教義的に言えば、真理を諸法実相といい、智慧は慧光照無量に、慈悲は毎自作是念であります。私たちは本佛(界)の真理(諸法実相)・智慧・慈悲の中に存在し、本佛も我等衆生(九界)に有られるのです。日蓮聖人のお顕らしになった佐渡始顕の大曼荼羅の形藐なのです。私たちはこの本佛の体内(お曼荼羅)に存するのです。
 久遠本佛は無始無終(永遠の命)で、この教えも永遠なのです。過去・現在・未来に通じているのです。
正しく、現在・未来に通じる教えなのです。普遍性の命であり、教えなのです。
本佛・本化・日蓮聖人・地涌の菩薩(私たちに)直伝されている内証の南無妙蓮華経の受持(修行)は、本佛釈尊・本化上行菩薩・日蓮聖人・恩師田中智学先生の誓願「通一仏土(佛国土・恒久平和)」の実現にあるのです。法界の成仏・世界の恒久平和「本門戒壇(お曼荼羅の姿)」の実現なのです。  
 私たちの本化妙宗は実現の宗教なのです。これが別頭行であり、国柱会会員の行です。
 本佛釈尊は本門の戒壇実現について神力品で、「如来の滅後において、仏の所説の教の、因縁および次第を知って、義に従って実の如く説かん。日月の光明の、よくもろもろの幽冥を除くがごとく、この人世間に行じて、よく衆生の闇を滅し、無量の菩薩をして、畢竟して一乗に住せしめん。このゆえに智あらん者、この功徳の利を聞いて、わが滅度の後において、この教を受持すべし。この人仏道において、決定して疑いあることなけん。」と説いておられます。本化行を行いましょう。通一仏土・本門の戒壇を建てる事業を行いましょう。
新型コロナウイルス感染拡大の時・機に当って、私たち本化妙宗国柱会の会員として、自分の命、私たちの役目・使命を見つめ直し、今こそ、本化妙宗会員としての信行活動の目的(通一仏土の実現・この世に本門の戒壇実現)を固めたいとおもいます。今、正にその時機なのです。
                              (転載元『妙梳』令和2年7月号 九州地方連合局発行)



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