恩師田中智学先生のお言葉 令和4年10月号

2022年10月02日(日曜日)

 今月13日は日蓮聖人の御命日(鶴林会)に当たりますが、特に本年は「立正大師」の諡号(しごう:おくりな)を、
大正天皇より賜って(宣下)から百周年を迎えます。
 大師号宣下奏請の発起人は、当時顕本法華宗管長の本多日生上人で、本多上人の趣意に賛同された智学先生は犬馬の労をとられ、宣下当日に、門下合同で執り行われた拝戴式で本多上人が奉読した「大師號宣下欽戴疏」の起草もされました。引き続き智学先生は、その後の「立正」勅額拝戴(昭和6年10月1日)でもご尽力されました。
 この度日蓮聖人門下連合会は、諡号宣下百周年を祝して、京都理事会(会場は顕本法華宗総本山妙満寺)において慶讃法要が執り行われる予定ですが、その開催日は、奇しくも恩師田中智学先生の御命日に当たる11月17日です。
 説明が長くなりましたが、本号では「立正大師」諡号宣下百周年を紀念して、当時の機関紙『天業民報』から、智学先生のお言葉を抜粋して掲載いたします。
国柱会霊廟賽主 田中壮谷

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 今度吾聖祖へ、朝廷より大師號追賜の御沙汰があつて
  立正大師
の勅號を下されたので、この十三日、その勅旨を拜戴すると共に、署名上願者一同幷に各敎團重立ちのもの、築地水交社に於て、その拜戴式を行つた。
 これは誠にめでたいことで、宗徒はいふまでもなく、國民のすべてが慶賀してよろしい、否、國家としての大慶賀である。
 そこで予は、本請願に付いての關與者の一人として、少しく肝心の事を述べて置きたい。
 此奏請の第一發意者は、本多日生師である、予が執筆用のため、相州湯河原に居た時、本多師から急に面會したい重要の用がある、いつどこで逢へるか八月一日に逢ひたい(中略)一旦國柱会館へ落ちついて、すぐに電話で知らせて面會の時間をきめて、四日頃に本多師に會つた、扨て何の用だと聞いたら、外ではない、大上人に大師號の宣下を奏請したいとおもふ、(中略)貴下の意見はどうかとの事であつた。
 予はこれに就て、先づ本多師の發意の内容に、甚だ尤もな考へのあることを認めて、卽座に左の二樣の意味を仕分けて答へた
 一 宗敎の本領と大上人の事業抱負とから言へば、奏請運動をして大師號をお願ひするのは不可だとい  
   ふ事
 二 けれども若し國家をして、改めて日蓮主義に對する公の接觸を促さしむる爲めとしては、當に有るべく 
   して未だ無かつた事であるから、「果熟易零」の格で、奏請して賜號をお願ひしても不可はない
 この二つは、隨自意判と隨他意判とである、それからモー一つ、これの副産物として逸すべからざる裨益は、各敎團聯合出願して、その總體へ下賜さるゝ事によつて、各派の共同一致率を昂めることが出來て、それこそ本多師の曾て熱心主張された敎團統合の基礎ともならうといふ益がある、それこれ時機の可なる點もあるから、行りたまへ、蔭の微力は盡さうと誓つた、それから本多師が疾風電撃の如き肝煎で、その筋の内規慣例から、當局の意見等を徴して、萬遺漏なしとなつて、はじめて請願人としての資格に於ける第一者たる各敎團の管長へ謀つた、いづれも賛成となつた、局外者の有志として、伯爵東郷平八郎氏(中略)及び予の十一名が連署して、文部大臣宮内大臣等へ奏請を願ひ出たのが九月の中旬であつた、然るに其れが十月十三日の御命日正當に、諡號宣下となつて 聖旨を拜するに至つた、發意の盡力も、折衝鹽梅ことゞく本多日生師が献身的盡力に出たことは、予の特に銘記して天下後世に傳へて置く所である。(後略)
(『天業民報』大正11年10月17日 第633号「日蓮大上人大師號宣下に就て(一)」より抜粋)


何故これまで日蓮上人に大師號の宣下なかりしや

 どの宗の祖師、又は髙德にも、大抵大師號がある、日蓮宗より新しい、そして小さな宗團の祖師にも大師號がある、只の先德といふ程度の人にも大師號の下つたのがいくらもある、然るに日蓮上人にだけは、どういふものか大師號がない、(中略)
 ともかくも七百年も經つのに、吾大上人だけは公然の賜號はなかつたのである、それは元來憎まれがちの宗門だから、公邊で推擧する者もなかつたのと、宗徒(中にも單稱側)の方に、なに大菩薩號を得て居るから、別に大師號を奏請せずとも宜いといふ恃みがあつて、比較的冷淡なのと、朝廷でも申出がないのに、干渉するまでもないとされて居たらしい、現に維新以後も、宣下候補の中へお加へになつて居たが、某官吏の意見とかで、この分は宗門から奏請して來まいといふ意見を附して、その次の候補査定の時は取り除かれたとかいふことも傳聞した、それが今日まで諡號の恩賜がなかつたのである。(後略)
(『天業民報』大正11年10月19日 第634号「日蓮大上人大師號宣下に就て(二)」)より抜粋


(前略)
 日蓮主義の中心は、いふまでもなく三大秘法である、三大秘法の法門は、理屈の組立でなくて、世界の解決整理が目的だ、事實問題に渉人して光輝を放つのである、その法門の所期として、イの一番に考へてかゝらねばならぬことは、閻浮統一といふことに在る、閻浮とは世界中といふことであるから、それを統一するにはどうする?一番強い明るい正しい美しい、何ものにも打勝べき最勝無上の法や敎や理や行や利益やを具へた、絶對理想絶對信仰の下に、一律に融歸せしめて一切の紛淆を解決し安定せねばならぬ、かくして内部的に人心が一つになれば、外部の國俗や社會や政治や經濟やの、あらゆる人生問題社會問題世界的問題は、一遍に根本的に解決統一されて、世界中一つの國になつてしまう、それが役目の日蓮主義だ、して見れば其の相手の「世界」といふものが、目の前へ出て來なければならぬ、その「世界」は、漸く明治天皇の開國進取的國是によつて、交通を開始した、この七百年の間は、まだ相手が出て來ない、相手のいない角力は取れない、今や世界をあげて、一切の問題を世界的に解決しようとして居る、世界が來た、その解決も入用となつた、こゝで始めて世界敎の春が來た、世界解決敎の舞臺が開かれた、これまでは樂屋で仕度といふ時代だ、即ち蔭の準備だ、今日こそ全く日蓮主義の登場すべき時だ、それで今までは、日本國家が公に日蓮主義を認める用事もなかつた、大師號の今日まで宣下せられないのも任運であつた、今この世界問題旺盛の時に會して、こゝに國家の對日蓮主義公認の最初として、國家に成り代つて、朝廷が大師號宣下をなされた事は、全く時だ、自然に來つた時だ。
 撰號の「立正」の二字も、これは大上人の御立名で、今度それが朝廷からの賜號になつたのは、宛も大上人の立正二大字に、天子の御聲を以て裏書きなされた樣なものである、即ち法と國との接觸である、やがて來るべきものは
  法國の冥合一致
である。
(『天業民報』大正11年10月20日 第635号「日蓮大上人大師號宣下に就て(三)」より抜粋)


(前略)
▽ところで今度の 勅諡號だ。それがまた不思議に對照せられる。勅諡號を甲乙しては畏れ多いが、少しくいはして頂けば、畢竟これまで『大師は弘法にとゞまり』といはれたのは、一つは弘法大師といふ名が、ひどくすはりがよい(グボフと讀んだ時のは別だ)。傳敎大師でもその點では及ばない。また弘法の二字はたゞ佛法を弘通する意で、何の特別な意味はないが、しかし空海が全國にその遺蹟を有することの多きは、ほとんど匹敵が少い。まことに弘法の名に背かずである。が、その弘通した法は果して如何といふ段になると、その名が何をも示して居ない。然るに、『立正大師』の『立正』は、『空海』の二字の中心を取りしがごとく、『弘法』の二字の中心が取られて居る。『法』多しといへどもその中心は至極の『正』法でなければならぬ。またその正法は、弘むるの前に、まづ其未弘の正法を建立し擁立しなければならない。中心を『立』てゝ而して後に弘めるのだ。
▽日蓮主義は、一面においては至極の平等主義である。汎神敎である。けれどもその一面むしろ正面の方は、一切に亘りて中心を立つるところの思想である。汎神卽一神敎としての壽量品の本尊はそこから成立するのである。佛は壽量品の本佛、法も壽量品の本法、僧は涌出品の本化。十方常住の三寶の中から深く中心を立てたのが日蓮聖人の佛敎である。
▽中心はたゞ一つである。『正』といふ字は、『一』と『止まる』といふ字との會意の文字である。『正』は即ち中心の義である。日蓮主義は、之を日本にして尊王主義になるのもその敎義の淵源から來るので、決して官權に迎合せん爲めの御用的主張ではない。
▽日蓮主義が中心を忘れた時に『物を見れば妙法なり、人を見れば本佛なり』といふ、汎神敎的眞言かぶれになつたのである。
▽空海和尚と日蓮聖人、弘法大師と立正大師。勅諡號までかくまでマザ〱と對照せられるのは不思議の因縁ではないか。
(『天業民報』大正11年11月6日 第649号「立正大師」より抜粋)



真世界巻頭言


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