妙とは蘇生の義なり

2015年06月30日(火曜日)

 申孝園の蓮もとてもきれいな花を咲かせております。前にも一度本誌で書かせていただきましたが、蓮は花を咲かすと同時に実を結びます。植物は一般には原因である花が咲いてのち、その結果として実を結びますが、蓮は因と果が同時に起こるという不思議なお花です。
 私達の人生は、様々な縁による原因と結果の積み重ねだといってよいでしょう。順縁もあれば逆縁もございます。その縁しだいで、結果も変わってくるのが常ではないでしょうか。私達が日々の信仰に精進を重ねていくことによって、仏様から良い知恵を授かり、たとえ逆縁であっても、それを活かしてよい縁に繋げていくことができると思います。ちょうど蓮華と同じように、原因と結果は一体のもので、切り離して考えることはできないのではないでしょうか。善い因縁、悪い因縁といったあらかじめ決められたような原因があるわけではなく、どんな因縁も、信仰の力で良い結果に転換していくことができると思います。その意味で、原因と結果は同時存在だと思います。大聖人は、「妙とは蘇生の義なり」といわれましたが、過去の逆縁も現在において順縁に蘇らせることが大事だと思います。
 私達には、それぞれに、生まれながらにいろいろなしがらみを背負って生きています。時には、そのようなしがらみがとても重荷に感じることがあります。皆様はいかがでしょうか。私事をいえば、過去のしがらみに悩まされ、その解決に沢山の時間を浪費してしまったように思います。当時、私は、その解決の為に何か新しい考え方をつかんで悟りを得なければと必死でした。その様な姿を見かねた、今は亡き恩師である大橋冨士子先生が、「悟りとは本来の姿に戻ること」だと教えてもらいました。それからは、とても気が楽になりました。元の姿に帰る。心をニュートラルにすることを忘れてしまっていました。心が何かにとらわれてしまっては、何をするにもうまくいかないのです。他に心を配る余裕もなくなり、自分が原因で他を傷つけてしまい、その結果、因果応報で自分に返ってきて、また悩む結果に終わります。本来の自分に立ち返ることによって、過去のしがらみがかえって誇らしい気持ちに蘇りました。
 互いに、信力増進、修行不退につとめましょう。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


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