日本語の美しさを取り戻しましょう

2014年07月07日(月曜日)

 ふだん何の気なしに話したり書いたりしている日本語ですが、少しでもよい表現をしようとすると、様々な状況に応じて色々と使い分けが用意されており、その言葉の種類の豊富さには驚かされます。日本語には、敬語、丁寧語、謙譲語など、その時々また相手によっての使い分けが沢山あって、面倒ではありますが、そこに古くから受け継がれてきた日本のこころが込められており、美しさが感じられます。いまさらながら、これらを完璧に使いこなせたら素晴らしいなと思い、少しずつでも身につけたいと願っているところです。幼いころに、今のうちに多くの知識を吸収して、表現能力を身につけておかないといけないよと、耳にたこが出来る程言われ続けてきたことが今になって思い起こされ、若い時にもっと真面目に学んでおけばよかったとしばしば後悔させられます。
 以前は、最近の若い者は言葉遣いも知らないなぁって言われましたが、最近はあまり耳にしなくなったように思います。といっても、みんなの言葉遣いがよくなったわけではなく、最近本当に惚れ惚れするほどに言葉遣いが美しい若者もいる反面、よい年をしてだらしない言葉遣いをする大人が多くなったということの結果にすぎません。
 言葉の乱れは、やはりテレビの影響があると思います。テレビのニュース番組などでは、やはり模範的な日本語を使って頂きたいと強く願う次第です。最近、首相の動向のニュースを伝える際に、キャスターが「首相に同行した記者から」といった言葉をよく耳にしますが、これにはいつも嫌悪感を抱かされます。首相は日本に一体何人いると思いますか。首相に同行と言うのは、首相と同格という意味に受け取れます。日本国の首相が、テレビ番組の記者と同格に扱われると言うのは全く以ておかしいことだと思います。その事について何の不審を感じない方々が沢山いるのが不審でなりません。この様なときの表現は、「随行」が正しいと思います。いうまでもなく、テレビ局の上層部の方々は私よりは目上の方々が大部分だと思います。年齢に関係なく、しっかり出来る人は出来るし、出来ない人は出来ないのであり、最近の若い者は、という言葉を耳にしなくなったのも、若い人よりしっかりしていなければならない大人が増えたためでしょう。
 私は遅ればせながら日本語の美しさを今しっかりと感じていますが、これは、立派な文化でありますから、この美しい日本語文化を、皆様のお力を賜りつつ継承して参りたいと存じます。これからも皆さまのご家庭はもとより、地域社会においても、文化の継承運動を推進していきましょう。私が一番危惧しているのは、天皇皇后両陛下に対し奉り、上記の様な誤った言葉遣いをすることです。私自身もこれからもっと多くの言葉遣いを学んで身につけて行きたいと思います。

国柱会賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


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