感応道交法益無尽

2013年10月10日(木曜日)

 お彼岸になりますと多くの方々がお墓参りに来られます。私も、母方のお墓など、いろいろなお寺さんのお墓に、お彼岸に限らずお参りすることがよくありますが、やはり、お彼岸の季節になりますと、多くの方がお参りに来られて、お寺さんの近辺はお線香の香りに包まれます。しかし、お盆やお彼岸以外は、それはそれは寂しい限りです。墓地を見渡しますと、長い間誰もお参りに来ていないと思われる墓石が多く見受けられます。お寺のご住職にたずねますと、こともなげに、無縁墓ですといった返事が返ってきました。そもそも何らかの縁があって、そのお寺にお墓が建てられたのですから、この呼び方は少しおかしなことだと思います。その様なことを思うにつけ、妙宗大霊廟は、すばらしいなぁとつくづく感じます。
 さて、先日の秋季彼岸大供養会の際には、御宝前に掲げられている、芳谷先生の書「感應」を拝しながら、ご参列の皆様に私の所感を述べさせていただきました。ご参列された方々は、みな、それぞれの思いを抱きながらご先祖様に感謝の気持ちをこめて祈っておられることと思いますが、みんなが一堂に会して声を合わせてお祈りを捧げるとき、式に臨む、同志の一念一念が互いに感応しあって、全体として一体のものとなっていることが感じられ、強い感動を覚えました。
 一人一人の純粋な感謝の念が、互いに結びつき交わりあって、そこにとても大きな力が生まれる様に感じられます。一人の力より二人の力、二人の力より三人の力と、そこに集う人の数が多くなればなるほど、感応道交によって生まれる力も大きくなるように思われます。この様な供養会が毎月開かれておりますが、いつも参列されている方々の力強い読経の声が、導師を勤めている私の耳にも届いて参ります。その響きに包まれながら導師を勤めさせていただける事は、非常にありがたいことと感謝しております。みんなと共に祈りを捧げることによって、みんなが仏様と一体になって、いまここに、共に生きているんだという生の躍動が実感され、心がとても穏やかになります。実生活においては、世間の瑣末なことに囚われて、些細な事にイライラすることが多い毎日ですが、みなさんとの感応道交によって得られた力を糧にしてがんばっていきたいと思っています。皆様におかれましても、ご先祖様に対する報恩の祈りと同時に、自身の根本心でもある仏さまの心と向き合って真理に帰依する合掌礼拝の生活を続けていただきたく願っています。


国柱会賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


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