身延祖廟輪番給仕を奉行して感じたこと

2012年11月08日(木曜日)


 私は、時折人から「その様な事だから人になめられるんだ」と言われることがあります。エレベーターなどで、見ず知らずの人に対しても無言でいることが出来ず、何となく親しみを感じ、つい挨拶をしてしまいますが、先方は無反応なことが多く、時には、怪訝な顔をして目を背ける人もあります。これも、互いに相手を値踏みすることが挨拶だと心得ている人から見れば、他人になめられるような行為に見えるのかもしれません。以前の私でしたら、きっと「なんで反応してくれないのだろう」と腹をたてたでしょうが、今は違います。なめられるのもまた一興と考え、一向に気になりませんし、この習慣を改める気も起こりません。挨拶をするのも、挨拶を返して欲しいからするのではなく、相手との心の繋がりを、こちらの心の赴くままに表現しているだけです。そして、これが自然に拡がっていくことこそ望ましいと考えています。
 世間一般の考え方からすれば、異体異心が当たり前ですが、私達は大聖人から、異体同心のお題目を唱えることを教わりました。そして、同心とは、聖祖に同心するのであるからよって聖祖を中心に同心する我らが同志の間には、聖祖を通じて異体同心と言う事が言えるのだと私は思います。そのことによって、どんな人とも心を繋げることができ、その繋がりが無辺に広がっていくことを確信しております。今年の身延祖廟輪番給仕は、10月27日、28日の2日間にわたって実施されましたが、団員の皆様と共に奉行していて、私の考え方がこのように成長できたのも、この恒例の身延大祖廟輪番給仕の奉行にあったのではないかと確信をいたしております。毎年のことながら、祖廟の御前で御題目を唱えていますと、大聖人の御心がそっくりそのまま伝わってきて心が広くなったような気がして、喜びに満たされます。この信仰の喜びを私ひとりに止めることはもったいないことです。今後とも、一人でも多くの同志が輪番奉仕にご参加頂き、同じ喜びを実感して頂きたく思います。
 今回の祖廟輪番給仕には、初めてご参加下さった方々が五名もおられました。感想を伺ったところ、どなたも感動の言葉を述べておられました。来年はより多くの同志が参加されることを心から願っています。

国柱会賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


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