田中香浦先生第17回忌を迎えて

2012年09月05日(水曜日)

 去る8月26日に執り行いました大白牛院謙寶日乗大居士霊位の17回忌法要に際しましては、多くの同志が御参列下さり、また、全国各地の多くの方々から御回向を賜り、紙面をお借りして心より篤く御礼申し上げます。大居士が帰寂されてよりはや17年の年月が過ぎ去り、その間の様々なことが思い起こされて、時の移り変わりの早い事にただただ驚くばかりでございます。祖父でもあり恩師でもある大居士の17回忌法要に当たって、まだまだ未熟な私が導師を勤めることになろうとは、祖父の訃報に接した当時の私には想像することさえできないことでした。なにより一番驚いておられるのは、大居士ご自身ではないかと思います。私がなんとか導師を勤め終えることができましたのも、同志の皆様の暖かい御支援があってのことと感謝致しております。
 大居士は、恩師田中智学先生の孫として誕生され、そして当時の帝国大学を卒業されましたが、日本古来の伝統的な考え方と西欧近代合理主義的な考え方がぶつかり合う時代にあって、国柱会をいかに方向づけるかといった難題をかかえての生涯でなかったかと拝察します。大東亜戦争においては、自身の命を国の為に捧げるべく特攻隊に志願をし、昭和20年10月15日に米国の輸送船に突撃の命令を賜っていたさなかに終戦を迎えられました。先に出撃して命を国に捧げた学友のなかで、自分一人が生き残ってしまったという自責の念を生涯持ち続けて、平成8年8月26日に御帰寂されました。
 今回多くの方々が御参列頂き、その中の多くの方から、若くして賽主を継承して大変ですねと同情のことばを賜りましたが、私の方といえば、本当にのほほんと賽主を継承している状態で、本来であればもっと権威ぶったり威厳ぶったりと見栄を張ることもしなくてはいけないのでしょうが、見栄を張ったところで、どうせ、大聖人やお釈迦様はなんでもお見通しでしょうからと自然体で構え、未だにのほほんとお勤めを致しております。ときおり、「のほほんとやりやがって羨ましいなぁ」といった祖父の声が聞こえてきます。祖父が生前に、「お前の無知が羨ましい時がある」といわれたことを思い起こします。今後も、霊廟の中から私達を見守って頂き、あまりハメをはずすような場合には、お叱りのことばも頂けることを願っております。

国柱会賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


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