仏教伝来謝恩碑建立40周年を迎えて

2012年06月06日(水曜日)


 本年は、仏教伝来謝恩碑建立から40周年を迎える記念すべき年に当たります。ここで、その歴史的経緯を少しご説明させて頂きます。仏教の日本への伝来は、百済国聖明王により始めて伝来され今日に至っていますが、我々仏教徒は、その恩義を決して忘れてはなりません。そのことを強く感じておられましたのが、恩師田中智学先生であります。恩師は、明治36年に、その恩義に対して謝恩碑建立を発願されました。そしてその翌年に、長男であります芳谷先生に、様々な調査の為に韓国滞在を命じられました。恩師は、ひとえに「百済ノ恩義、千載忘ル可カラズ」との一心でございましたが、恩師のこのとても強い志をもってしても、謝恩碑建立は御在世中には叶いませんでした。しかしその志は、三世代の歳月を経てのち、孫であります香浦先生によって実現しました。建立に至るまでには様々なことがあり、決して簡単な事ではありませんでした。香浦先生は、反日ムードがとても強かったことなどの当時の状況を手記に残しておられます。しかし、その様な事があればなおさら、一日も早く建立しなければならないと強い信念をもって事に当たられたのです。その結果、地元扶余及び韓国仏教徒はじめ多くの方々のご賛同を得て、昭和47年5月10日に落慶除幕式を開催するに至ったのです。
 仏教伝来謝恩碑建立から40周年を迎える本年、仏教を伝えたくれた事に対する謝恩と共に、今日まで謝恩碑を護持してくださった現地の方々に報恩感謝の誠を捧げるべく、訪韓団を結成しましたところ、多くの同志の方々からご参加を頂きました。ありがとうございます。私は、今回で二度目の訪問です。前回は、青年部として伺いました。その時には、20名を超える青年部の参加者と共に、韓国の伝統文化を学ぶと題して、民族音楽のサムルノリを芸術学院で習いました。扶余滞在中は、芸術学院に寄宿させて頂きました。あれから十年を過ぎた今、訪韓団の団長として、再び訪れるとは夢にも思いませんでした。青年部として行くのも団長として行くのも、目的は先に述べた通りであり、何ら変わるところはなく、ただ報恩感謝の誠を捧げるべく祈りに行くのです。私も先師の志を継承するものとして、報恩の祈りを捧げて参ります。

国柱会賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


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