蓮實院謙信日友大姉霊位の27回忌を迎えて

2012年10月10日(水曜日)

 今月15日は、曾祖母の正当27回忌でございます。曾祖母が亡くなったのは、私にとって、近親者の死を目の当たりにする最初の経験でした。いま振り返りましてもその当時の私には、死というものがどのようなことなのか、正直理解できでおりませんでした。人間が死ぬという事を、身をもって最初に教えてくれたのが曾祖母だったのです。
 この度27回忌を迎えるにあたり、月日が経つのが本当に早いものだとつくづく感じます。当時私は九歳でした。小学生であった姉と私は、途中まで迎えにきた母と一緒に帰りました。幼い私にとっては、母が涙を流している姿に接し不思議でたまらずその光景をよく覚えております。曾祖母は私に死の悲しみを教えてくれました。曾祖母が亡くなって4日後に母方の祖父が亡くなりました。その時には曾祖母に教わった死の意味を十分に理解でき、悲しみでいっぱいで、私自身ずっと涙を流していたのを思い出します。
曾祖母の命日10月15日は、香浦先生の命日となるはずだった日と一致しています。私にとって祖父である香浦先生は、昭和20年10月15日に、アメリカの貨物船に突撃するべく訓練を重ねて、国の為に命を捧げる事を覚悟しておられたところに、8月15日に終戦を迎えられました。香浦先生にとっては、自分の命日になるはずであった日に奇しくも母が亡くなるという経験をされたのです。
 曾祖母の世代の母親にとっては、どなたも、子供が先に亡くなる事を覚悟していた方々ばかりではなかったかと思います。自身が生み育てた我が子が、国の為とはいえ、自分より先に亡くなることを見据えることには、大きな覚悟が必要であったろうと思います。そしてその家族もまた、同様に苦痛な覚悟を強いられたものと容易に想像されます。多くの若い命がなくなり、護国の為に散った英霊が眠る靖国神社に首相が参拝し、祈りを捧げることは当然のことであり、そこに何の配慮が必要か、全く意味が解らないし理解ができません。いま中国や韓国が、我が国日本を色々と批判していますが、靖国神社の参拝は、政治とは全く違う問題だと思います。今この時に、毅然とした態度で、これは日本人の精神に対する干渉であり、政治とは関係がないからやめてくれと中国や韓国にはっきりと物を言う政治家の輩出を切望します。自ら命を捧げた英霊ばかりに止まらず、曾祖母の様に、叶えることなら自分が代わって命を捧げたいと思いながらも我が子を送り出した多くの方々のことに思いを馳せるとき、これ以上この様な状況を放置しておくべきではないと思います。
 生きている我々にできるのは、追善のご回向しかありません。報恩感謝の追善供養を捧げて共に祈りましょう。

国柱会賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


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