8月15日を迎えるにあたって

2010年08月05日(木曜日)

 今月の15日には65回目の終戦記念日を迎えますが、実際に身をもって戦争を経験された方々は年々に少なくなってきました。私自身を含め若い世代にとっては、あの悲惨な戦争も、ともすれば、歴史のなかの単なる一コマとして受け取ってしまいがちです。しかし、いまある自分を知るためにも、そしてこれからも平和な暮らしを続けるためにも、先の戦争について多くのことを正しく学び、それらを踏まえて今後のあり方を求めるとともに、それらを子々孫々に伝えていかなければならないと思います。
 私が生まれ育った東京も、かつては東京大空襲によって火の海となり、一面の焼け野原になったとうかがっておりますが、いまでは、戦争の傷跡も全く感じられません。しかし、沖縄においては、米軍が上陸して住民を巻き込んだ激しい戦闘が展開されました。そして、いまもたくさん傷跡が残っています。私は、以前、沖縄を訪問する機会を得てガマと呼ばれている洞窟があることを知りました。兵士だけでなく民間の多くの老若男女が、米軍の火炎放射器で殺されたり、あるいは手榴弾で自決したりした処です。沖縄には、このようなガマがたくさんあります。そのうちのひとつで行われた戦没者の慰霊祭に参列させて頂きました。当時も今も変わらないと思いますが、蝋燭の火を消すと、かすかに差し込む太陽の光以外はほとんど何も見えず真っ暗でした。この寂しい場所で最後を迎えた多くの犠牲者の心中はいかがなものだったでしょうか。私達のとうてい想像することのできないものであったと思われます。当時のことを経験された方々からもお話をうかがいましたが、遺族の方々は、その後の生活の中で、死にたいと思ったことが何度かあったと語っておられました。様々なご苦労を乗り越え、今日まで一生懸命に生きてこられた姿を拝して私が感じたことはただひとつです。これらの無念の想いを抱いて亡くなられた先亡諸霊位の魂を鎮めることができるのは、いま生を頂いている私達が、背骨を失ってさまよい続けるこの国を、正法によって立つ安らかな日本に変えていくこと以外にないということです。
 終戦記念日を迎えるに当たって、私達こぞって、護国英霊に報恩感謝の祈りを捧げ、悲惨な戦争の歴史を、我々人類普遍の平和希求の願いに昇華させることを誓いましょう。

国柱会賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


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