食法餓鬼(じきほうがき)

2025年10月04日(土曜日)

 日蓮大聖人は、御遺文『四条金吾殿御書』の中で次の様に述べておられます。
食法餓鬼と申すは、出家となりて仏法を弘むる人、我は法と説けば人尊敬するなんど思ひて、名聞名利の心を以て人にすぐれんと思て今生をわたり、衆生をたすけ父母をすくふべき心なき人を食法餓鬼とて法を食らふ餓鬼と申す也。
 仏法を学び、人に教えを説いて法を弘める事は我々にとってとても重要な使命であります。しかし、この文にある様に、人々から尊敬されたいとか名誉や利益を得たいとか、こんな不純な動機を抱いて法を説く人はみんな食法餓鬼に該当します。
 法は本来自分ひとりではなく広く周りの人々を幸せに導き、社会を安らかにして世界をより良くする為に説かれたものです。このような法を私利私欲のために利用しようとするのは、法に則って生きるのではなく法を糧として貪ることになります。
 現代社会に向かった法を説くにあたって、例えば、自分が得た宗教などの知識を得意になって説いたり、これを説けば皆が自分を尊敬してくれるだろうと願ったり、人に教えを乞われた場合に、そんな事も分からないとは勉強が足りないぞと横柄な態度で一喝したりする様なことは、大聖人から「食法餓鬼」とお叱りを受けても反論できませんね。私も過去に何度かその様な態度で説教された経験がありますが、私自身がそんな風にならないようにと自らを戒めているところです。
 法を広めるということは自己の利益を超えて社会全体のため人類のために生きることだと思います。この観点に立ってこそ、「法を食らう餓鬼」ではなく「法を生きる人」になれるのだと思います。
 人を助け、社会を良くし、国を健全に保つための行動に励めば、必ず時代を超えてその価値を発揮され、人々の未来を明るく照らすものになると信じています。増上慢にならず常に謙虚な姿勢で大聖人の御教訓を身に読みたく存じます。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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