2025年12月07日(日曜日)
令和8年、西暦2026年は、昭和元年(1926年)より数えてちょうど百年という節目の年を迎えます。政府主催による「昭和百年記念式典」も予定されており、国全体がこの百年を振り返り、未来を見つめ直す一年となります。戦争と平和、貧困と繁栄、混乱と希望が交錯した昭和という時代。その歩みを顧みることは、私たちが今、どのような心でこの時代を生きるべきかを問う大切な機会となります。
日蓮聖人は『開目抄』において、「いかに法華経の行者と名乗るとも、難に値わざれば用いがたし」とお示しになられました。時代の変転や社会の苦難の中にこそ、信仰者としての真価が問われると思います。現代社会は情報があふれ、何が真実で何が偽りかを見分けることが難しい時代となっています。様々なデジタルツールが瞬時に言葉を拡散させ、人々の心を揺らします。そんな時代にこそ、法華経の信仰を軸に「正しいものさし」を持ち、自分自身の心の仏性を信じて生きることが、何よりも尊い実践となることでしょう。
法華経の根本精神は「一切衆生皆成仏」。すべての命が尊く、誰もが仏となる可能性を持つという教えです。この確信に立てば、私たちは他を排除せず、あらゆる人を敬い、共に生きる道を選ぶことができます。法華経「常不軽菩薩品」で説かれた「我深く汝を敬う、汝皆菩薩の道を行ずべし」というお言葉は、まさに現代の荒れた世相を鎮める大事な教えだと思います。世の中の声に惑わされず、仏の教えに耳を傾け、己心の仏性を見つめ直すことです。日々の読経唱題を怠らず、法華経を鏡として己を省みる。その積み重ねこそ、乱世を生きる智慧の灯となります。法華経は「諸法実相」を明かし、すべての現象が仏の働きであることを示します。だからこそ、どんな困難も「仏の方便」と受けとめ、信心を深める機縁としたいと思います。
法華経「随喜功徳品」に、「他を喜ばしむるはすなわち自らを喜ばしむ」とあります。信仰を説くことは、言葉よりも行いに表れます。人を責めず、愚痴をこぼさず、感謝と微笑みをもって接する。その姿がすなわち法華経の説法です。わずかな施しも、心からの誠であれば無量の功徳となります。人の悲しみに寄り添い、苦しむ者を励ますことこそ、現代における菩薩行です。法華経の行者は、社会の隅々に光を灯す存在です。家庭の中で、職場の中で、地域の中で、仏の心をもって生きる。争いや差別、分断を超えて、いのちを敬う実践を積むことが、令和八年を生きる我々の使命です。昭和という時代が、多くの苦難を越えて平和を築いてきたように、私たちもまたこの時代の課題に立ち向かい、未来に希望をつなぐ行動を重ねてまいりましょう。
南無妙法蓮華経のお題目を唱えることは、単に個人の救いを求めることではなく、社会に慈悲と平和の波を広げる働きです。一人が変われば、周囲が変わる。周囲が変われば、時代が変わる。お題目にはその力があります。四季を通じて聖祖ご降誕会には、宗祖のご降誕を寿ぎ、信仰の原点に立ち返りましょう。春秋のお彼岸には、先祖への報恩を通じて、いのちのつながりに感謝をささげ、夏には戦没者や災害の犠牲者に祈りを捧げ、いのちの尊さを思い起こしましょう。そして年の終わりには、一年を憶念し、清らかな心で新年を迎える。このように四季を通じて信仰を深めることが、我々の一年の歩みといたしましょう。外の世界がいかに移ろおうとも、私たちの内にある仏性は決して失われません。この真実を信じて歩む人こそ、現代の法華経の行者です。
昭和百年の節目を迎える令和8年度。過去の歴史を敬い、未来への希望を紡ぐ年にあって、私たちは法華
経の教えをもって時代を照らす使命を担っています。正しいものを見極める智慧、他を包み込む慈悲、信を貫く勇気をもって、苦しむ人に寄り添い、信仰の灯を絶やさず、他者の中に仏を見る。これこそが、合掌の生活です。
南無妙法蓮華経
国柱会霊廟賽主 田中壮谷

