熊本地震の報に接して

2016年05月02日(月曜日)

合掌 
 熊本を中心にして九州一円に起こったこの度の大地震にて被災され、尊い命をなくされた方々のご菩提を謹んでお祈り申し上げますとともに、被災された方々のお見舞いを申し上げます。また、このような状況におきまして、被災された方々の為に危険な作業に懸命に従事された自衛隊、警察、消防などの方々、そして、民間レベルでボランティア活動に参加された方々に、心より感謝いたします。
 先日、この大地震を「タイミングの良い地震」などと表現した人物がいたことが報じられましたが、どんな理屈があるにせよ、その発言の軽率さには憤りしか感じませんでした。人間は、他の動物とは違い一人では生きていく事ができません。私もそうでありますが、どんな人間でも傷つきやすいのですから、日々の生活の中でも、言葉遣いには十分気を配って、互いが互いに、より良い日常をすごせるように心がけていきたいものです。まして、上記の発言は、尊い人命を奪われ悲嘆に暮れるご遺族の方々や度重なり余震に不安と恐怖に包まれながら避難先での生活を余儀なくされている被災者が大勢おられる最中に、一政治家によってなされた発言です。政治家と言うのは、江戸時代で言えば、いわば武士に当たると思います。司馬遼太郎さんは、彼の作品の中で、武士は、「人に思いやりを持ち、決して自分をかばわず、人の卑怯を憎まず自分の卑怯を憎み」、などと常日頃自分を戒めて、民の事を考えていたのだと述べています。政治家になろうと志した以上は、国民みんなが安穏に暮らすことができるように身を挺して務める覚悟が求められます。このような志を持ち、無私の心で日々一生懸命に事に当たる政治家もたくさんいる中で、このような国難の時期において、周りが見えずに自分中心にものを考えて、傍若無人に発言する政治家は、正直なところ、政治家以前に人間としていかがなものでしょうか。被災地で火事場泥棒をする者と同類だと私は思います。あのような発言から、政治家への不信が募り、国民が政治に無関心になれば、ことは一層悪い方に向かうと思われます。考えてみますと、このような政治家の輩出を許したのも私達自身です。真に国を担う政治家は誰か、そしてどの党か、監視の目を怠ってはなりません。来る選挙の際には、しっかりと意識して、我々のカードである参政権を有効に行使いたしましょう。
 最後になりましたが、被災された方々が一日でも早く心穏やかな日々が過ごせるようになりますことをお祈り申し上げます。
南無妙法蓮華経

国柱会霊廟賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


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