品格

2016年04月01日(金曜日)

 待機児童の問題に関しては、少子化をくい止める為にも切実な問題として、私も受け止めていますが、「保育園落ちた日本死ね」というネットの書き込みの表現の仕方は、あまりにも品格と言うか、その品格以前の問題であると憤りを感じます。違和感と言うか憤りです。社会問題が我が身に降りかかってきた途端「日本死ね」とは、本当に大人でしょうか?この国の素晴らしさを未だ理解できていない、そのような人は一度よその国で生活をしてみれば良いと思います。
 子供を抱え共働きで、また子供の教育費の為に夫婦揃って家での内職と、本当に子供の事を想い頑張っている方々は私の周りにたくさんいます。待機児童の問題は、政府も消費税の一部を財源にあてるなど対応を始めていますし、現政権になり好転しているとの報告を私は受けております。保育所を増やすにも、保育士を増やすにも多くの問題があり、すぐにすべての問題が解決とまでは行きませんが、打開に向けてしっかり取り組んでいる政府を、私は支持いたします。
 それにしても、あのように「保育園落ちたのは私だ!」とパフォーマンスで永田町に来られた方々は、果たして真剣に子供の事を考えているのでしょうか。私は疑問に思います。子供の生活より、自分たちの感情を優先している方も多いのではないでしょうか。パフォーマンスを、政治アピールに千載一遇の好機とばかりに政治家に利用されているだけのような気がして仕方がありません。そのような政治家は、票取りの為だけで、実際の所問題解決に取り組む責任なんて感じてないでしょう。国会の審議の中継をテレビで見ると、問題を真剣に解決しようという姿ではなく、相変わらずの与党・政府攻撃なので、本当に憤りしか感じません。過去における自分たちの過ちを棚に上げてよくも偉そうに質問ができたものだと思います。国益より自分たちの党の益を優先する輩同士が新たな党をつくっても、ただの烏合の衆でしょう。一体何ができるのでしょうか、やれるものならやってみなさいと思いつつも、感情論が沸騰して与党が議席を失うのではないかという心配もあります。
 待機児童の問題は日本国の将来に対する憂いですが、日本国に対して「死ね」などと言う品格のない感情的な罵詈雑言、あのような事を平気で書ける輩を親に持つ、その子供の将来もまた心から憂いています。私自身人の品格云々と言える立場ではないですが、日々精進を重ねて最低限必要な品格は身につけたいものです。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


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