大孝の霊境思親閣

2013年05月02日(木曜日)


 日蓮聖人は、文永十一年御年五十三歳より、弘安五年御年六十一歳まで足かけ九カ年の長きにわたって、雨の日も風の日も休むことなく、五十丁の道のりを思親閣へと登られ、身延の山上遥かに故郷房州の空を望まれ、今は世に亡き父母に想いを馳せられて読誦唱題追孝報恩の誠を捧げられました。
 孝は人類の根本道徳であり、また仏道の眞戒であります。大聖人は、孝を非常に重視され、法華経は「内典の孝経」である、と述べておられます。大聖人の身延における九カ年は、このことを、身をもって我々にご教示下さったのであると私は思います。
 今回も多くの同志と共に、身延山山頂思親閣を目指して登詣いたします。現在は、大聖人が登攀された頃とはとても比べ物にならない程に整備されて、登攀することが容易になりましたが、大聖人は、大変なご苦労を重ねて、毎日父母を思いながら登攀されたことと思われます。大聖人御在世の当時に想いを馳せながら、みんなうちそろって、大聖人に異体同心して登攀いたしましょう。
 身延の地には様々な思い出がございます。幼い頃の私はよく御漏らしをしてしまい、宿坊に迷惑をかけてしまったことが何度かありました。そのこともあって、母は、夜中に何度も私を起こしては、お手洗いへと連れて行ってくれました。いましみじみと親のありがたみを噛みしめています。私にとっては、五十丁の登攀もそれほど苦になる道のりではありませんでしたが、ふだん主婦業に明け暮れており、加えて私のために十分な睡眠もとることができなかった母にとっては、今になって考えますと、かなり大変だったのではないかと思いました。
 今亡き母をはじめご先祖様を思い、思親閣にて報恩感謝の誠の御題目をお唱え致したいと思います。大孝の霊境へと続く五十丁を、これからも回を重ねて登攀し続けたいと思っています。
身延登詣は、今後とも本会の大事な聖行事として、同志各位の協力を賜り、脈々と続けて行きたいと、あらためて強く思いました。

南無妙法蓮華経

国柱会賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


ページの先頭へ