妙宗大霊廟の教化力

2013年06月08日(土曜日)

 昭和3年4月、桜の花が爛漫と咲くうちに、妙宗大霊廟の落慶式が盛大に行われました。その際の参列者のひとりに、ポルトガルの公使モンタルバン氏がいました。後日彼は、手紙に託して、当日に受けた深い感銘を表明しています。ここで、その中から抜粋して、その一端を記させていただきます。

“庭には美しい池があり、池の中には小島があって、そこに妙宗大霊廟が建てられ、国柱会員にして亡くなった者が、この中に合葬されるという。夏になれば、池には蓮が生え、白い花が咲き誇るという。蓮の花に取り囲まれた妙宗大霊廟は、さぞかし美しくもまた厳かなものであろう。ひとたびこの世に生をうけた者が、やがては白玉桜中に入り逝き、すべての争い、あらゆる怨恨、ことごとくの憎しみを超えて、共に共に、一片の白灰と化して、ここに親しみあい、永劫に眠る。死せる者の合葬は、やがて、生ける者の共存共栄を、さとし教えるものではあるまいか。”

 私達は、釈尊から、人はみな仏子として一体であり、その生命は永遠であり、まさに怨親を越えて平等であると教えられています。妙宗大霊廟は、この教えがそのままに表現されており、お参りするたびに、釈尊の説法を聞く思いがして心打たれ、この霊廟の形そのものが、「法華経」の形益の示現であり、とても宗教的に深い意味があることに気づかされます。
 旅行先でたまたま知り合ってお友達になったご夫婦がいます。年齢は八十を超えていますが、そのご夫妻が来園して、妙宗大霊廟を一目見て、とても綺麗で明るい所だ、と切り出し、そのすばらしさを、様々な形容を重ねて語ってくれました。その話しぶりは、ちょうど法華経壽量品で語られている「寶樹多華果 衆生所遊楽」と同じ様な内容でした。最近は、これまでは信仰のうえで何の縁もなかった方で、このご夫妻と同じく、この大霊廟を一目見て感動された方に会う機会が増えてきました。妙宗大霊廟の教化力には圧倒されます。大霊廟との出会いといったただそれだけのご縁が、未来永劫にわたる繋がりを生むことになるのであり、妙宗大霊廟のすばらしさを改めて実感しています。

国柱会賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


ページの先頭へ