ひさかたぶりの被災地ボランティア

2013年07月06日(土曜日)

 少しは復興が進んでいることを期待しながら、ひさかたぶりに南相馬市を訪問いたしました。ボランティアセンターに着き、センター長から、復興は遅遅として進まず、除染作業をする人手すら足りない状況だと知らされました。常のようにまず朝礼をすませて後に被災現場に入りましたが、今回の私の現場は、私を含むたったの三人でした。以前であれば、作業内容にもよりますが、ひとつの現場に最低でも十人から十五人位の人がいて作業していましたが、その様変わりには驚かされました。
 被災者の方から出された依頼書に目を通しますと、この人数で、午後四時までに作業を完了できるような仕事量とは思えず、しり込みしましたが、どの現場でも同じような有様であることをみて、増員の依頼など適わないと知り、依頼書どおりに決行することにしました。最近は、瓦礫の撤去のほかに、雨漏り対策として屋根にシートを被せる作業が加わりました。度重なる余震によって歪んでしまった家屋が、雨漏りなどのために、梁が腐って倒壊してしまう事が多くあるからです。この様な高所での作業は、ボランティアの中から志願者を募って行いまず。高所での作業をするには、それなりの体力と俊敏性などが求められますので、誰でも良い、というわけにはいきません。私の他の二人は、高所恐怖症と言っていましたが、他のメンバーを見渡してやはり自分が行かなければと言う衝動に駆られて志願したと言っていました。正直なところ、私もそうでした。高所恐怖症でありませんが、申孝園で高所の作業中に転落をして救急車で搬送された事がありましたので、その時の二の舞にならぬようにと思うとためらいを感じましたが、行きがかり上後にもひけず、思い切って志願した次第です。実際に現場についてその家屋を見ると、想像以上の高さと急な勾配を目の当たりにして緊張がはしりました。現場に入って、まずメンバー全員で黙禱を捧げます。黙禱を捧げたあとは、不思議とその緊張が去り、作業に没頭することができました。最初の三人しかいないと言う事を忘れて三人が想像以上のポテンショナルがでたのか無事に依頼書の作業を全てこなす事ができました。
 自分自身が高いところにあがってみて、多くの犠牲者を出した今回の震災で尊い命を落とされた沢山の精霊がずっと高い所から、頑張れと見守ってくれているんだと感じました。いくら望んでも、亡くなってしまった方に会う事はできませんが、亡き人の心を感受する事はできます。亡くなった私の母がそうです。つねに上から私を見守っていてくれているんだという感じに包まれ、亡き母の心を感じとる事ができます。被災地で今も多くの方々が苦しみを重ねている現状を、一人一人のご先祖様たちは、同じ苦しみを感じているのかと思うと一日でも早くその苦しみから解放させてあげるのが、我々生きている者の勤めだと思います。たいしたことができなくとも、少なくとも、その様に感じながらがんばろうと自分自身に言い聞かせています。
 震災直後にみんなが抱いたことば「絆」の重みを今一度取り戻したいと私は思います。最近国会議事堂前で、原発反対のデモを目にすることが多くありますが、私自身、ボランティア活動しながら、もしも原発がなかったらよかったのにと思うことがしばしばあります。しかし、今は、その原発が生んだ電気を消費して生活をしているという矛盾を抱えて生きていくしかありません。反対と叫んでいる方々も同じだと思います。難しい問題です。「原発反対」のシュプレヒコールだけでは、この矛盾を解決できません。今の政府の方々も、この矛盾を一日でも早く解消するため、有識者を招いていろいろと取り組んでいるのだと思いますが、早く実効のある解決策が生まれることを期待しています。
 最後になりましたが、亡き精霊の菩提増進を祈ると共に一日でも早い復興をお祈り申し上げます。

南無妙法蓮華経

国柱会賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


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