志を継いでいる我々の頼もしさをご先祖さまに

2007年09月13日(木曜日)

にも書きましたが、人が生きていく中では、しばしば重要な「選択」に迫られます。先日テレビで、人は常に「もしもあの時、あの様にしておけば」と悔やみながら生きていると、ある人が言っていましたが、皆様もそのような経験がおありはないでしょうか。私は何度も経験しています。自分自身で選択した決断の結果が、自らのストレスの原因になっていることがたくさんあります。

以前は、ストレスと言うのは周りからの影響によって生じるものとばかりと思っていましたが、考えてみると、大抵のストレスは自分自身が生み出していることに気づかされます。私達の社会は自他一体の構造であり、私達個々人の生活が社会のいろいろな仕組みで決められているのと同時に、個々人の行動が社会を決めています。自分自身の希望が叶えられないときに、その事の原因がすべて社会にあるとして、自己中心の世界に入り込んで、被害妄想的に人の痛みも感じずに殺人を犯してしまう、と言ったニュースが最近しばしば報じられていますが、これも間違った考え方が生んだ悲劇だと思います。

社会の仕組みの中で、組織を守るために他人に相談することすらできない人もいますが、一方で、ストレスを生じさせないために、組織そのものを変えていこうと努力しているひともいます。思い悩んで自らの命を絶って行く人がいる一方で、病気と闘って必死にがんばっている闘病中の方がいます。ごく普通に生活をしているのに突然命を奪われてしまった人、そんななか、命を救おうと、必死にがんばっている医療従事者がいます。一方で命の尊さを理解し必死にがんばっている人たちがいる中で、何の痛みも感じない不感症の人間も存在しているというのが悲しい現実です。ストレスにいかに対処するかと同時に、ストレスを生じさせない社会をつくることが大切です。その為にも、それぞれ個人個人の工夫と努力が欠かせません。ストレスを解消するには、他の誰でもなく自分自身である事を自覚することが大切ではないでしょうか。

ストレスが生じない社会を作るためにまず求められるのは、いたわりの心を持つことです。すべての人々にいたわりの気持ちをもって接し、お互いがよくなるように智慧を絞りあい、そして、できることから行動することだと思います。お互いそれぞれの努力で、嫌なニュースが少しでも減るために努力しなければならないと思います。

私達がいまここにあるのも、ご先祖さまのおかげです。ご先祖の方々には、それぞれの目標をもって、平和な社会を作ることを願って一生懸命に生き抜き、志半ばで亡くなった方も多いと思います。先祖の志を引き継いで、その志をさらに発展させるのがつとめです。来る七月十五日の盂蘭盆大供養会には、皆さんご一緒にご先祖さまに感謝の気持ちを捧げ、総ての人々が睦み合う平和な社会の到来を祈りましょう。




真世界巻頭言


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