前世紀的な宗教コンペティションには別れを告げよう

2007年09月13日(木曜日)

オリンピックは、世界の競技者が集まり、技を競い合うコンペティションです。そこには娯楽の要素もあり、人間の向上心を育てる大切なものと思います。しかし、それも行きすぎると、必ず問題が起こります。

昨今は、宗教戦争の時代ともいわれ、いろいろな宗教が競い合っています。金メダルを獲得して世界制覇を目指すコンペティションのように、それぞれの宗教が、我こそが勝れ、他が間違いであると主張しています。高じてテロを誘発して、無関係なひとも巻き込んで、世界を不安におとしいれている有様です。我々の世界平和への祈りを無視するかのように、多くの方々が、同じ人間の手によって命を落とされているといった現実に直面しています。平和を望まない宗教は無いのです。その宗教が、互いに他を許さないと言い争っている時ではありません。宗教のあり方自体を考えなおす必要があると思います。

大聖人は、『妙密上人御消息』において、「日蓮はいずれの宗の元祖にもあらず、また末葉にもあらず」と言われており、ご自身が元祖となり教祖となろうと思って開宗されたのではありません。その逆で、争いのない世界を一日でも早く実現するためにこそ開宗されたのです。みんながそれぞれ、それぞれの方向で力を発揮し、それぞれを活かし合って、みんながそろって仏の世界に入ることを願っておられると思います。宗教のコンペティションでは、すべての人がそれぞれの得意な場面で金メダルを獲得することではないでしょうか。二十一世紀に入りおよそ十年を経過しようとしていますが、そろそろ、前世紀的な宗教コンペティションには別れを告げて、再出発しようではありませんか。

法のはたらきや仏の慈悲は、常に私達に働きかけています。しかし、信じる力が無ければ何も始まりません。田中香浦編『正しい宗教Q&A』の中に次の様な分かり易い話が書かれています。

川に落ちた人がいてその人を助けようと崖の上からロープをたらします。落ちた人がロープが切れないか又は、引っ張り上げてくれる人は、大丈夫かと疑っていてはだめであって、助けて貰う人自身しっかりと縄と助けてくれる人を信じてしっかりとすがらない事には、たすかりません。この場合縄にすがる力が、信じる力、引っ張る力が仏の力、縄が法の力なのです。

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真世界巻頭言


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