東日本大震災被災地を訪ねて

2011年05月04日(水曜日)


 謹んでこの度の大震災殉難諸霊位の御菩提増進を祈念申し上げますと共に、被災された方々が、一日も早く、平常の生活に戻られることを心より願っております。テレビから流れる被災地の映像を目にして、自分の恵まれすぎている環境に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、一度被災地を訪ね、被災された方々に何かしらお役に立てることができればと願っておりましたところ、この度、多くの方々の御助力を得て、現地を訪ねることが叶いました。
 最初に宮城県に向かいました。報道されるニュースからは伝わらない現地の現状を目の当たりにして、その惨状に愕然とし、一体この被災地で自分が何の役に立てるのだろうかと、出発前に抱いていた気持ちが粉々にうち砕かれてしまいました。しかし、皆さまのお陰で被災地に来たからには、たとえわずかでも被災者の力になることができないものかと思い直し、できることから行動に移しました。まず、仙台市内の会員の方々を訪問させて頂きました。しかし、短い日程であったため、全ての会員の方々にお声をかける事が叶わず残念でなりません。仙台市内にお住まいの方々に、十分な量ではありませんがお米やお水やインスタント食品などをお届けしました。皆さまは、度重なる余震などで疲労困憊の御様子でしたが、それでも一生懸命に前向きにがんばっておられ、その姿に接して、自分たちの無力さに気が滅入っていた我々の方が逆に励まされて、新たな勇気を頂きました。


 二日目は塩釜市に向かいました。塩釜市では、国道沿いに壊れた船が何艘も横たわっており、本当にひどい状況でした。車のナビゲーションを頼りにして出かけましたが、訪問先の住所を入力するたびに思うことは、どうか家が無事でありますようにと祈るばかりでした。道中は、かつて家があったと思われるところが今は瓦礫の山となっており、所々家の土台部分だけが残っているといったありさまでした。目的地に建物がある事を祈りつつ車を走らせていきますと、目指す建物は見つかったのですが、人影が見えず、無人の街といった様相を呈していました。津波の被害から逃れて避難された結果なのか、ご不在で安否の確認も取れませんでした。家の被害状況から推測して、無事だとは思われましたが、確かめる術もなく、心残りのまま、次の目的地に向かわざるを得ませんでした。塩釜市の内陸に向かって車を走らせていきましたが、海岸沿いから相当入っていったはずだのに、景色がかわりません。これも、内陸奥深くまで津波が押し寄せた結果であることに気付きその異常さに吃驚しました。途中水没している道路でお互い譲りあいながら、ともかくも無事目的地につきました。その同志のお宅は、床下にヘドロが堆積していました。この距離まで津波が来たのかと、つくづく今回の震災のすごさを実感しました。


 全日程三日間のうち、一日を割いて、被災地で災害援助のボランティアに参加し、瓦礫撤去作業に従事しました。本当に短い時間でしたが、貴重な経験をさせて頂きました。被災された方々を前にして、我々は愕然とするばかりでしたが、本当に辛いのは被災された方々で、震災により大切な物を全て失った方々であります。それを思うと涙が出てしかたがありませんでした。その様な私を気遣って被災地の方が笑いながら声をかけてくださいました。無力感に駆られた私自身の姿をみていたたまれなかったのでしょう。その方の話を聞きますと、家族の安否は未だにつかめていないとのことでした。その方が、「この震災でたくさんの人達が亡くなられたが、各地で、十月十日を経て新しい命が生まれているのだから、元気を出しましょう。世界各地からあなた方の様な方々が来てくれるおかげで、勇気をもらい、元気をもらっているのだから、貴方も元気になってくれないと、こっちも元気がなくなるよ。あなた方の存在が何より励みだよ」と言われ、その言葉に私は返す言葉が見つかりませんでした。私よりはるかに辛い思いを経験している方々でありながら、私なんかよりずっと前向きに頑張っており、その精神力の強さに感服しました。しかしこの様な方が全てではありません。子供ばかりからなるグループで、ただ意味もなく瓦礫の山の海岸を歩いている一団を多く目にしました。聞かずともわかります。これらの子供達は、安否がいまだにわからず、必ず生きているものと信じて親族を探しているのです。おそらくは、ここで経験した震災のショックは、大人になってもいつまでも消えないことでしょう。何人かの方から、避難することはできたが、目の前で流されている人々を見て何もできなかったことで、自分自身を責めている、といった心情をうかがいました。多くの被災者がこの様な思いでいるのかと思うと、何かやりきれないような思いにとらわれました。今後このような悲惨な状況が二度と繰り返されることのないように願うばかりです。地震が起こることは自然現象として受け入れざるを得ないのかもしれませんが、それによって起こる災害を少しでも少なくするため、今後、あらゆる努力をしなければなりません。そのためにも、この現実を、後の世まで正しく伝えなければならないと痛感しました。


 最終日に、被災地の町役場を訪ね、お米とお水を届けに行き、その足でトルコから来ている派遣隊の捜索チームに同行し、瓦礫を撤去し、もし可能なら殉難者のご遺体を見つけ出す作業に参加しました。せめて亡きがらだけでも遺族に届けたいという気持ちを込めて、みんな一生懸命がんばりました。そこには、国境の差、宗教の差は存在しません。帰り際に私が、今回殉難の精霊に対してご回向を捧げる為に唱題を始めると、イスラム教徒であるトルコのチームの全員が、作業を止めて、ヘルメットを外し、みんな合掌してくれました。この様に、同じ人類であり誰しも思うことは同じなのに、争いが絶えないのが不思議でなりません。一日でも早い被災地の復興を祈ると同時に、世界各国の紛争が無くなる事も祈りました。
 今回の震災で様々な事を学びました。時には絶望を、そして時には感動を経験
しました。被災地の状況を皆様に適切に伝えるだけの表現力がない事が自分自身悔まれてなりませんが、この経験は、今までの人生観を一変させるに余りあるものでした。実際に被災していない我々がどれだけ努力しても、被災者と同じ気持ちになることは不可能ですが、その一部分でも心を共にすることが望まれます。
 常に被災者の事を気遣い、今できる事をなし、そのことを持続する事が我々の復興支援であると思います。皆さまに重ねてお願い申し上げます。今できる事を実行しましょう。私は、今回幸にも被災地に行くことができましたが、行きたくても行けない人々も大勢おられると思います。日程が取れ次第、また釜石市に出かけ、精一杯頑張ってくるつもりです。
 最後に私自身許し難い事があります。様々な所で今回に震災に対して被災をしてない安全な所で天罰だとかと偉そうな事を書いている方々や発言している方々は、刹那にその過ちを謝罪すべきであると共に実際に被災地にいってもらいたい本当に憤りを感じます。生後間もない赤子に何の罪があるのでしょうか?被災された方々に何の罪があるのでしょうか?



真世界巻頭言


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