再び被災地を訪ねて

2011年05月30日(月曜日)

 先月号には、東日本大震災被災地を訪れた際の報告をさせて頂きましたが、今度も多くの方々のご助力を得て、二度目の訪問が叶いました。「巻頭言」の誌面を借りて、その所感を述べされていただきます。


 車のナビゲーションを頼りに目的地を目指しました。ナビゲーションは、こちらの指示通りに目指す地点へと案内してくれましたが、予め心に描いていたような目的地は画面の上に有るのみで、実際には見いだすことができず、想像を絶した状景に直面して、おおきなショックを受けました。私にとっては初めて訪ねる土地であることから、震災以前の景観がどのようであったか、ただ想像するのみですが、地元の方々にとっては、その変わり様に、私以上に心の痛みを感じておられるものと思います。そんな中、被災地において同志の方とお会いすることができたとき、この様な状況で不謹慎と云われそうですが、久しぶりにお会いする同志のお顔を拝して、胸のつかえが取れたような喜びを感じました。


 地元の人に伺ったところ、我々が釜石に到着した三日前にやっと電気が通ったとのことでした。我々が釜石に入ったのが四月二十五日ですから、震災から二カ月弱電気のない生活が続いていたことになります。加えて、余震の恐怖、家族を失った孤独感等々、様々な不安を抱えた毎日であったことが想像されます。それにも関わらず、私達を温かく迎えてくださいました。震災からだいぶ時間が経過していることもあり、市役所に問い合わせることによって、被災者にとって必要なものの情報を的確に得る事ができました。今回は、鎮痛剤、便秘薬、風邪薬が必要とのことだったので、我々は、東京の同志である斎藤さんに、かなり無理なお願いとは知りながら、薬の手配を頼みました。斎藤さんは、東京で薬剤師をされている方で、相談したところ快く引き受けて下さり、そのお陰で、岩手県釜石市の災害支援本部へ、緊急に必要な支援物資を届ける事ができました。また、五月五日の子供の日が近かったので、子供達に駄菓子を用意しました。偶然幼稚園の入園式に遭遇してそれを届けると、園長先生以下教職員の皆様うち揃って、溢れんばかりの笑顔で受け取って頂きました。思えば被災地を訪ねて出会った初めての笑顔だったと思います。しかしながら、事実は、町中が依然悲しみに包まれています。たまたま昼食時に、父と子だけが助かったものと思われる親子に相席しました。復興支援で来ているのがわかったのか、我々にありがとうと感謝の言葉をかけてくださいました。大切な家族を津波に奪われた親子にとって、交わされる会話はほとんどありませんでした。しかし私は、その時はっきりと感じました。お互いの受けた悲しみに触れないことが、親子の間での配慮なのだと。親しき中にも礼儀あり、という言葉がありますが、ここに言う礼儀を、親と子それぞれが、相手に対して誠心誠意を尽くすことであると理解したとき、この言葉の重要性があらためて認識され、自分自身の過去を振り返って後悔しております。


 被災地では、全ての事が勉強です。両親を失った子供も大勢いますが、自分が同じ立場であったらこの子供達の様に前向きに生きていけるだろうか、と反省させられます。私達が今回の訪問で目指した事は、被災者の為に祈ること、そして被災者の為に汗を流すことです。体力を生かして一生懸命瓦礫の撤去作業に取り組みました。我々は、津波で全てを奪われ悲しみに包まれた家族も交えて一緒に作業をしました。時折、思い出の写真などが見つかりますが、被災者に方から、深いため息が漏れるのを耳にしました。深いため息の中には、良い思い出や決して思い出したくない事も含まれているでしょうが、その思い出が、この家族にとって、新しい未来へと踏み出せる何らかの力になることを願うのみです。瓦礫を撤去することはできても、元の状態には戻せません。作業の中にも無力感を感じることがあります。被災者の方々は、我々以上に無力感を感じているものと思われますが、一生懸命、前にむかって進もうと頑張っている姿に接すると、本当に心を打たれ、我々自身の無力感をも吹き飛ばしてくれます。我々が作業をしているその横では、今も御遺体の捜索が行われています。そこには、被災者と非被災者の区別はありません。みんなが一丸となって頑張っています。これからもこの気持ちを持ち続けることが大事だと思います。しかし被災地でない東京に帰ってくるとがっかりさせられる事がたくさんあります。明日は我が身と言う事を忘れないでもらいたいと思います。いつ何時我々も被災するかわからぬ身であります。


 こうして被災地をまわっていると、日蓮聖人の御在世当時が偲ばれます。御遺文を拝しますと、打ち続く災害が述べられており、きっとこの様な状況だったのだろうと思われます。大聖人は、当時の混乱した世情を、法華経の教えによって仏国土に変えていく事を説かれ、御一生を通じて、常に行動の伴う宗教活動を展開されました。国難ともいえる現在にあって、大聖人の教えを、身をもって学ばなければならないと痛感します。
被災地を訪れ、様々な事を学ばせてもらいました。この様な経験を生かし、時間が取れればまた被災地を訪れ、これからも様々な活動を行っていきたいと考えています。



真世界巻頭言


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