2014年04月02日(水曜日)
昨今、様々な集いに参加する機会が増えてきました。先日も「明治の日」の集いに参加しました。そこに集う方々はどなたも私の大先輩方です。その際に必ずといっていいほど耳にすることが、「戦後教育」と言う言葉です。私自身も戦後教育の中で教育を受けましたが、学生時代には、私の先生方が話されることと祖父である香浦先生に教えられたことの間に大きなギャップがあることを強く感じました。正直いって、どちらが本当の話なのかと戸惑いながら成長しました。「俺の命は昭和天皇に新たな命を賜った」というのが祖父の口癖でした。以前にも話させて頂きましたが、祖父は特攻隊に所属し、昭和20年10月15日にアメリカの貨物船に突撃の命令が下っていました。同期の仲間が先に出撃をしていき、次は自分の番という時に終戦を迎えました。今こうして私が存在しているのも祖父があってのことであり、祖父と同様、私自身も昭和天皇のお陰で賜った命だと思っています。
祖父は、国柱会本部編『昭和天皇の御製』の「序」の中で次のように述べています。
戦いは我に利あらず、敗色濃厚となるや、天皇は一身をなげうっても惨苦に悩む国民を救おうと、軍の圧力を押さえて終戦の道をお開きになられた。
終戦後のある日、天皇はみずから連合軍司令官マッカーサー元帥をご訪問になられた。さだめし生命乞いであろうと思っていたマッカーサーを驚かしたのは、「一切の責任は私にある。自分の身は任せるから、国民の飢えを救ってほしい」という天皇の、崇高なお言葉であった。このご境地は、まさに仏の「大悲代受苦」の精神にひとしいと仰がれる。これほど無私の心に徹した帝王なり指導者というものが、はたして他に有り得ようか。まことに類まれな、仁徳あつき英明な君主であられた。
上記のことを私は、祖父から幼き頃より、もっと平易な言葉で教えられてきました。私自身戦後教育を受けながら、本当に憤りを感じることは、なぜ世界に類をみないこのような天皇陛下をはじめとする御皇室の御聖徳を教えようとしないのかということです。現在のマスコミの御皇室に対する報道の在り方にも問題があると思います。それも一事が万事、戦後の教育によってできてしまった悪しき流れであります。先日の様なあの国会議員の今上陛下に対する御無礼をなくすためにも、教育を根本的に見直さなければならないと思います。昭和を生きてきた多くの先輩方にお願い申し上げたく存じます。どうか皆さまが経験されてきたことをお孫さんなどに語り継いでいって頂きたいと存じます。
4月29日は昭和の日です。言うまでもなく昭和天皇がお生まれになられた日でございます。この日を迎えるにあたって、今一度昭和天皇の御聖徳に思いを致し、国民一同、子子孫孫に語り継いで言って頂きたいと強く願います。昭和天皇の御聖徳を語り継ぐ日、それが本当の意味での昭和の日なのではないでしょうか。天皇皇后両陛下はじめ御皇室の方々は、常に無私の心で我々国民の為に御心を砕かれておられます。このような大御心に対して我々はもっと感謝をもっていかなくてはいけないと思います。
国柱会霊廟賽主 田中壮谷