孝養に三種あり

2016年07月31日(日曜日)

 東京周辺の慣習に従って国柱会本部では7月17日に盂蘭盆開顕大供養会を執り行いましたが、お盆の行事を8月に行われるところも多いのではないかと存じます。お盆は、宗派に関係なく、祖先の霊をお迎えしお祀りする日といった考え方が定着していることから、この日は、日頃は無関心であった自分の御先祖に想いを馳せる人も多いと思います。考えてみるまでもなく、先祖があって始めて現在の自分が存在するのです。先祖を大切にしないことは、自己自身を否定することになると思います。大切な先祖に順位があるわけではありませんが、やはり、両親・祖父母・曽祖父母と自分に近しい順に直接接する機会も多かったのではないかと思います。しかし、実際の生活の中では、時には祖父、時には母と、その時その時の自身の状況に応じて様々なことが思い出されます。人は一日の中で様々な感情を抱きます。まさに十界互具ですね。時には地獄界に住み、時には修羅界に住むといった有様です。十界互具である以上、仏の心や菩薩の心にも成り得るはずですが、自分自身、残念ながら人間以下の精神になることの方がはるかに多いような気がします。時として地獄の心や修羅の心になった時に、突如としてご先祖様が立ち現れることがあります。はっと立ち返って、御先祖様に喜んでもらえるようにするにはどう行動すればよいか、といった反省から、たとえ、地獄の心や修羅の心を抱いたとしても、それを実行することにはブレーキがかかります。そんな時、ああ自分は、常に御先祖様に守られているのだなと実感します。御先祖様への報恩のためにも、本当の意味での功徳を積まなければと反省させられます。
 大聖人はご遺文の中で、
  孝養に三種あり、衣食を施すを下品とし、父母の意に違わざるを中品とし、功徳を回向するを上品とす。存生の父母にだに、なお功徳を回向するを上品とす。いわんや亡き親においておや。
と述べておられます。現代は、買い物もインターネットを通じてできるなど、非常に便利な時代です。お墓参りも代行サービスがあるそうですね。お墓参りは、心をこめてお祀りして、御先祖様を通じて仏意を学び取ってこそ意義があると思いますが、代行サービスでは何の役にも立たないでしょう。かつては、皆がその意義を承知して心を込めて行っていた行事が、世間への見栄から形だけは示してそれでよしとし、更にはその形さえ実行しなくなってきました。仏教では、正法、像法、末法の三時が説かれていますが、今当に末法の時代ですね。こんな時代に在ってこそ、大聖人のご遺文の意味を共に深く学んでいかなくてはならないと思います。『妙行正規』の回向文の中に書かれているように、「願わくはこの功徳を持ってあまねく一切に及ぼし、我らと衆生とみな共に仏道を成ぜん」との請願を込めて、御回向を捧げることに務めましょう。
 今月は、終戦の月であります。靖国神社に眠る護国英霊に今は亡き祖父の志を継ぎ、報恩感謝のご回向を捧げて参ります。参拝の出来ない方も、ご自宅から祈りを捧げていただきたく存じます。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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