教育勅語を考える

2017年05月04日(木曜日)


 昨今、森友学園問題との関連で「教育勅語」が話題に上っていますが、もっぱら、政治問題との絡みで取り上げられ、「教育勅語」の内容の検討が置き去りにされている点を危惧しております。
 「教育勅語」はその内容から考えて、現代日本国民の道徳教育の原点であるべきだと感じております。
「教育勅語」は、明治23年に明治大帝によって発布されましたが、戦後の占領政策の一環として廃止され、国会でも排除決議がなされました。そのこともあってか、現在では、その内容の可否を検討することさえしなくなってしまい、残念に思っています。
 「教育勅語」には、「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、忝倹己を持じ、博愛衆に及ぼし、学を修め業に習ひ」等の徳目が書かれていますが、これらの徳目を個々に実践すると共に、「咸其徳を一に」し、みんなで「祖先の遺風を顕彰する」ことが大事だと思います。
現今の世相を見ておりますと、教育勅語の精神を若いときより、しっかりとりいれて人間形成に活用していたならば、と思うことしきりです。「教育勅語」には、経済優先の物質主義に侵されている現代においてこそ、必要にして、欠くことのできない徳目が網羅されていると思います。
 日本人のこころを占領政策の呪縛から解き放ち、教育勅語の精神に立ち返りましょう。私自身はすでに手遅れでありますが、次代またその先の未来を担う立派な日本人の為に、今こそ教育勅語を日本人全体が真摯に受け止めるべきだと思います。
 来年は、明治維新がなされた年から、ちょうど150年目、そして「教育勅語」執行排除の議決がなされてから、70年目に当たります。験を担ぐわけでもありませんが、来年こそは、明治の日が制定されること、そして、学校教育において教育勅語の精神が取り入れられることを願っています。もちろん取り入れると言っても、単に子ども達に暗記・暗唱させて終わるのでは、百害あって一利なしです。子ども達に「教育勅語」の精神が将来体現できるように、学校の先生だけではなく地域の大人達が見本を示していかなくてはなりません。
 「明治の日」の制定は、まだまだ現実味を帯びているとは言い難いところもありますが、皆様のご理解とご協力を賜り、一日でも早い実現を心より願い祈る次第にございます。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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