英霊に捧げる祈り

2017年09月07日(木曜日)

 終戦記念日には毎年靖国神社参拝を執り行っていますが、今年は、英霊に答える会主催の参拝団に合流させていただきました。いつもはセミが鳴き、とても暑いさなかでの参拝でしたが、今年は雨の中の参拝で、いつもとは違った雰囲気での参拝となりました。
 靖国神社参拝については、甲論乙駁のいろいろな議論が交わされていますが、私は常日頃、この問題の本質は、政治の次元にあるのではなく、日本の国の道義、文化、精神に関わる問題であると感じております。皆様も御存知のとおり、戦後七十五年も過ぎていまだに、戦地にて無念の戦死を遂げられた多く方々のご遺骨も完全には日本に戻っていない情況です。誤解のないように言わずもがなのことを述べますが、私は、決して戦争を起こしてはならず、つねに二度と戦争に巻き込まれるようなことがないように施策すべきだと考えています。先の大戦では、理由はともあれ、この国が戦争に巻き込まれてしまい、国が、ある種の強制力をもって国民を戦争へと赴かせたと言う事実は、誰しも認めなければならないと思います。靖国神社に祀られている方々の中には、大事な家族、恋人、あるいはペットとお別れして、遠い戦地へと行かれ、壮絶な戦場で、「ふるさと」である日本に想いを馳せ、一日も早く祖国の地を踏み、元気に家族の元に帰りたいと願い、その事が叶わなかった方も多くおられたことと思いまいます。私は「ふるさと」という言葉を聞くといつも特別の想いに包まれますが、このような方々におかれては、「ふるさと」を遠く離れ、さぞ無念の想いを懐いておられることと思います。今年の靖国神社の参拝においても、献楽の中に「ふるさと」がありました。私は、これを聴いて涙が止まりませんでした。
 この時期になるといつも、近隣諸国が靖国神社の問題を政治問題として騒ぎだしますが、上述のように、私はこの問題を、日本の国の道義と文化と精神の問題を踏まえて考えるべきだと考えていますが、例えば、日本では、「怨親平等」といった考え方があり、判断を誤って他に迷惑をかけたような人でも、その動機に純粋さがあれば尊崇するといった他国とは異なった考え方があります。このように、日本文化の特質を十分踏まえて議論を尽くし、日本国民全体がこころをひとつにして、護国英霊に祈りを捧げる日が一日も早く迎えられる事を、ただただ祈るばかりでございます。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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