敬老の日そしてお彼岸を迎えて

2018年09月01日(土曜日)

 記録的な豪雨や酷暑に見舞われた8月も終わって月が改まりましたが、9月は、17日に敬老の日、そして23日に、前後三日を含めて一週間続くお彼岸のお中日を迎えます。
 敬老の日については、祝日法によると、この祝日の趣旨を、多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し長寿を祝うこと、と定められていますが、簡単にいうと、おじいちゃん、おばあちゃんに感謝する日です。今は亡き祖父母に想いを馳せますと、様々なことが思い出され、感謝の気持ちに包まれます。我が儘放題に日を送っていた幼い頃の私を、時には甘やかし、時には叱ってくれました。いまこうして年を重ねてつくづく思う事は、人間は誰もがいつかは死ななければならないということです。このことは老少不定で、明日の我が身すらわからないことがらです。このことから、毎日毎日、一瞬たりとも無駄に過ごしてはいけません。その意味からも、どなたであれ出会ったご縁を大切にしていかなくていけないと思います。ご縁とは不思議であり、とても大切なことなのですが、ときおりその大切さに気がつかず、無駄にご縁を減らしていると感じられる事が間間あります。すべての事に感謝をする心の大切さをもう一度見直したいと思います。諸縁の中でも一番身近に関わっている大切な縁は、何といっても親でしょう。誰しも親との縁がなければこの世に生を受けることができなかったのですから。しかし、近しいがため、かえってその大切さに気が付かず、気づいても恥ずかしさが先立って素直になれなかったりします。私自身、後悔先に立たずの繰り返しで、今になって嘆くことが多い人生でありました。心を改め、毎朝あらたな寿命を授かった気持ちで一日をスタートしなければと自分で自分を戒めているところです。
 お彼岸は、ご先祖さまから頂いた多くの御恩に対し、感謝の気持ちを新たにする期間と言ってよいでしょう。私達にとっての感謝の気持ちの表明は、やはり心を込めたお題目を唱えること、そして、お題目の心で毎日を過ごすことだと思います。ここで、お題目の心で過ごすということは、まわりの全ての人々の幸せを我が身の幸せと感じる感謝の生活を送ることだと私は勝手に解釈しています。考えてみると、この様な解釈も、ご先祖様から頂いた多くのご縁によって培われたものです。先月も祖父の23回忌において祖父のご縁で沢山の先輩方が法要に参列してくださいました。その時に祖父が残してくれましたご縁に対し、つくづくありがたく感じました。お彼岸を通じ、とりわけお中日の23日には、身口意の三業にわたって、心をこめた感謝のお題目をお唱えしましょう。そして、そのお題目の心を、ご先祖様への感謝から、身近な方への感謝、そこから波及する社会全体への感謝へと拡げていきましょう。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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