「明治の日」の意義について

2018年11月02日(金曜日)

 11月3日は、現行では「文化の日」と定められていますが、各協力団体と共に、この日を「明治の日」に改めようとする運動を進めておりますが、一日でも早くこの願いがかなえられることを願っています。その意義は様々ありますが、この誌面を借りて、その一端として、私なりに感じていることをいささか述べさせていただきたく存じます。
 「文化の日」を「明治の日」に改めることは、明治時代以後の日本のあり方をそのままに追従しようということではありません。明治時代は、日本の伝統的な有り方と西欧からもたらされた近代文明とのぶつかり合いの中で、日本は如何にあるべきかといった問題を掲げて葛藤した時代だったと思います。「明治の日」は、このような明治時代に想いを馳せて、現在の世界情勢をしっかりと見据えて、これからの日本のあり方を考える記念の日にしたいと考えています。そんな思いのなかで、とりわけ気になっていることは、現在の日本において、道徳教育への取り組みが希薄なことです。
 先日、皆様も御記憶のことと存じますが、孫による祖父母の殺傷事件といった信じ難いニュースが報じられました。なぜこのようなことが起きるのか。やはり、道徳教育の欠落がいちばんの原因ではないかと私は思います。私の世代の方々なら同じ経験をされたと思いますが、小学生の頃、授業で「道徳」という時間がありました。しかし、その授業内容というと、テレビを見たり、雑談をしたりとかで時間を過ごし、人間はどうあらねばならないかといった問題に対して積極的な何かを教えられることなく、曖昧模糊とした授業に終始したように記憶しております。それよりも若い世代の方々は、はたして道徳の授業があったかどうかは、私自身知るよしもありません。
 私の願いの一つは、明治の日制定を機縁として、学校での道徳教育に、教育勅語に盛られた内容が活用されることです。とある新聞では、教育勅語は、軍国主義への回帰だと批判しておりますが、内容を理解してないとしか言いようがないです。教育勅語で説かれている内容をしっかりと人間形成の上で用いることによって、上述の様な、孫による祖父母の殺害といった悲惨な事件を無くすると同時に、軍国主義に繋がるような要因をひとつひとつつぶしていくことこそ、今後の重要課題だと考えています。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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