続種護法に心がけましょう

2021年04月01日(木曜日)

 社会は新年度の幕開けですが、入学式もコロナの関係で縮小ムードでございます。
私の甥っ子も今年から高校生になりました。産まれた時から考えると大きく成長しました。やはり幼い頃の印象のままあるのは叔父としてのこちら側のわがままなのでしょうかね。皆様も、お子さんやお孫さん、姪っ子や甥っ子には、いくつになっても、生意気な事を言われても、とてもかわいいと感じていらっしゃるのではないでしょうか。その様な事から抜け出せず、いくつになっても子供扱いをしてしまうから、あまり上手くコミュニケーションが取れなくなってしまうのかと先日ふと思いました。やはり一人の人間としてちゃんと接する必要があるという事を実感させられました。
 皆様も私と同じような事を感じたことはございませんか?自分の人生を振り返ってみますと、一人前では無いのに、早く大人と同じに扱ってもらいたいと感じていたのを思い出されます。その様な時折大人びた態度が反感をかったりして生意気だと言われてしかられた経験があります。
 今は、私が幼少のころとは、明らかに違いとても多くの情報を子供であっても容易に入手することができます。子供であっても一人の人間として接する事が今後の続種護法には、必要なのではないかと感じました。
今コロナ禍の中で、法要もお葬儀も、すべてが縮小されて、早二年目になりました。臨終の場は、ある種大切な続種護法の場であります。このようなコロナ禍の縮小モードが長く続き常態化されてしまいますと、益々続種護法が危ぶまれます。
 ですから、ご家庭に於いて皆様のお子さん、お孫さんなど近親者の方々への接し方などを、共通の問題として、様々な経験談をお寄せ頂きたいと存じます。「私の家庭の続種護法」と言うようなテーマで、真世界誌に皆様の経験談を投稿していただきたく存じます。
 私は、幼い頃大事な法具である木鉦を、遊びながら打鉦したのが一番のスタートでした。祖父が家庭において務めるお参りの後ろ姿をみて、私も幼心に真似をしました。一度もガミガミとお説教をされたという経験がありませんでした。難しい事は、何一つ言わずに霊廟に入ったら拝んで欲しいとだけ言われました。一人の人間として私を見てくれて、祖父なりの「人を見て法を説け」が功を奏したのでしょう。反抗期もなくスムーズに信仰を受け入れる事ができました。次代を担う若者をこれからも皆様と共に育む為に様々な経験談を分かちあいたいと存じます。
 今月は、二度目の身延登詣を、やむなく中止せざる得ない状況にありますが。4月28日の立正会には、全国同志の皆さま心一にして正中合念をお願いいたします。
最後に全国同志の皆様の病悩速除とご健康をお祈り申し上げます。
南無妙法蓮華経
                                              国柱会霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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