目標は高く実行は足元から

2021年04月30日(金曜日)

 仏教というと、それぞれに修行して悟りを得るとか、この穢れた娑婆世界を逃れて理想の国に往生するとかといったように、個人個人の救済が説かれていることがイメージされ、それで尽きると思われがちですが、日蓮大聖人は、一切衆生の救済を志向され、皆がそれぞれの特徴を生かして協力しあうことによって、この娑婆世界を仏国土に変えていくべきだと説かれました。このことは、大聖人の主著『立正安国論』のタイトルが意味するところからも明らかです。大聖人は、生涯を通して、国を安んじるため、更には人類全体を救済するために、正法の建立を叫び続けられました。大聖人の御教えを継承しようとする私達が目指すところは、このような大聖人の御教えを体して、この世界をすこしでもより良い世界に変えていくことにあることは申すまでもありません。
 とはいえ、凡夫の私達ができることは限られています。目標は高く実行は足元から。まずは身近なところから実践することが大切だと思います。一番小さな社会組織は家族であります。先ず、正法を立てて家族を安んじること、つまり、家族が一丸となって信仰中心の生活をすることがいま必要不可欠だと思います。前号で続種護法のことを書きましたが、このことも掛け声だけで終わらずに行動することが肝心であります。心の有り方を言葉で表わすことはなかなか困難ですが、心のこもった行動は感動を呼んでお互いに通じ合うものだと私は信じております。仏教では一般に身・口・意の三業が説かれていますが、いまひとつ重要なことは(誓)願業です。正しい願いを抱き、これを親から子へ、子から孫へと伝えていくことこそ大切だと思います。
 願業は祈りによって表出されます。昨今多くの日本人は敬虔な気持ちで祈りを捧げる清々しさを忘れてしまっているのではないかと感じることが多々あります。日本人が古くから受け継いできた神仏に対する清々しい祈りは、絶やしてはいけない大切な文化遺産だと思います。私も心改め、自身を見つめなおして、日本全国民が祈りを捧げる清々しさを再び取り戻せるように頑張りたいと思います。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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