歌舞伎座公演「日蓮」開幕を目前にして想うこと

2021年06月01日(火曜日)

 皆様御承知のように今年は日蓮大聖人御降誕八百年に当たりますが、これに縁して、来月には歌舞伎座で『大歌舞伎「日蓮」』が幕を開けます。この記念すべき年、状況はまさに大聖人が鎌倉で辻説法を行っておられた時の様相に酷似している様に感じます。当時幕府があった鎌倉は、大地震に見舞われ、火災によって焦土となり、衛生状況の悪化から様々な疫病が蔓延し、想像もできない程の屍が山となっていたと伺っています。大聖人はその原因を究明され、この惨状を乗り切るには法華経に帰依する以外にないと結論され、法華経の広宣流布に一生を捧げられました。今回の歌舞伎で主役を演じられる市川猿之助さんは、今まで日蓮聖人とはほとんどご縁がなかった方だと聞いていますが、法華経の行者としての大聖人がどのように表現されるか、私自身とても楽しみにしております。
 大聖人はその生涯を正法公布に邁進されましたが、このような志を固められたのは、いったいお幾つの時だったのか、そんなことがとても気になります。大聖人とて、若い頃は色々な迷いやぶれもあったことでしょうが、研鑽を重ねた結果、法華経こそ正法であると決せられた。その思考の過程こそ私の知りたいところです。と申しますのも、私は今や不惑、つまり、迷いが無くなっていなければならない年を迎えましたが、残念ながら、大いなる迷いにある年というのが実状です。もう一度しっかり初心に立ち返り、惑わされることのない様にしっかり悩み考える年にしなければならないと考えています。私自身、法華経的な考え方で生きる事の幸せを日々感じて感謝の気持ちでいっぱいですが、果たして正しく理解しているだろうか、大聖人が深い思考を重ねた上で得られた結論をただやみくもに信じて満足していないだろうか、大いに悩むところです。それに、私が悩むのはその広宣流布の方法にあります。人を見て法を説けと教えられていますが、誌面での訴えは私からの一方通行な発信でしかありません。直接面談する際は自分なりにその方にあった言い回しなどで発信をしますからまだいいのですが、誌面では、私の乏しい表現力のため、誤解を招くことも多いのではないかと案じています。しかし、賽主として正境大本尊の祭祀及び妙宗大霊廟の祭祀を執り行うにあたってはもはや迷いはありません。お釈迦様、大聖人そして御先祖様に、ただ至心に報恩謝徳の念を捧げるばかりであります。
 コロナ禍は未だ終息することなく、様々な困難があると思いますが、引き続き心をひきしめて、この難関をみんなで乗り越えましょう。皆様のご健康を毎日お祈りしております。

霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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