父とは日蓮なり子とは日蓮が弟子旦那なり

2021年10月01日(金曜日)

 今月13日には、日蓮大聖人が御入滅された日である鶴林会を迎えます。
 法華経の広宣流布に生涯を捧げられた我らが父日蓮大聖人は、私達の為に様々な教えを説かれました。そんななかで、私にとって身近に感じ大事に思われるのは孝養という教えであります。
 この教えについては、とりわけて「儒教」で強調され、仏教においても宗派を問わず重視されており、一般には、親の意に沿って努力することと理解されていますが、私達は大聖人から、内典の考教である『法華経』に基づいて実践することが最大事であり、法華経に帰順することこそが真の孝養であると教えられています。御義口伝のなかで書かれている「父とは日蓮なり子とは日蓮が弟子旦那なり」という言葉も、法華経によって繋がれる父と子を念頭におきながら理解すればよく納得されます。
 大聖人は、皆様もよく御存知のように、身延山での生活のなかで、毎朝、亡き両親を思いながら五十丁の身延山を登り、はるか遠く安房の故郷のみ墓を拝されました。この山の山頂が思親閣と名付けられているのもこのことに基づいているとうかがっています。
 このような大僧人の御心境に想いを馳せながら、はたして自分は親に孝養を尽くしているだろうかと問うとき、忸怩たる想いに包まれてなりません。
 本会は大聖人の行跡の素晴らしさを伝えるために結成されたものではありません。目指すは、一切衆生を法華経へ、お題目へと結縁させることにあります。思い、言動、行動は調和していなければなりません。これまで大聖人の功績の賞嘆や本会の過去の業績の誇示に終始してはいなかったか。正直言って、いっていることに実践が伴わなかったり、独りよがりで相手に伝わらなかったりと、失敗だらけだったのではないかと反省しています。
 鶴林会は、その様な失敗の懺悔に終わるのではなく、真心での報恩行を誓う日にしなければいけないと痛感している次第です。私たちの使命は法華経を世に広めること、即ち一天四海回帰妙法にありますが、現代社会にあっては、全てが科学万能と錯覚され、神仏に対する畏れが皆無であります。この様な時代における布教は極めて難しいと思われますが、教化の方策を根本から変えて、新たな世代でも通用するようにアップデートをする必要が不可欠です。
 難しいことを知っているからといって人が付いていく時代は終わりました。鶴林会に当たって言葉と行動の調和のとれた実践をしなくてはと決意を新たにしているところです。
南無妙法蓮華経

国柱会霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


ページの先頭へ