信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ

2021年11月01日(月曜日)

 私の一日は、日蓮大聖人の主著『立正安国論』に書かれた一節
汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。しかればすなわち三界は皆仏国なり。仏国それ衰えんや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ壊れんや。国に衰微なく土に破壊なくんば、身はこれ安全にして、心はこれ禅定ならん。この詞、この言、信ずべく崇むべし(『妙行正軌』表三十一頁参照)。
の拝読によって始まります。ここで書かれている「実乗の一善」を、私は、この娑婆世界を仏国土化することを説く『法華経』の教えのことだと理解し、毎日、仏国土実現の誓いの場と心得て朝拝に臨んでいます。
 大聖人はこの文において、自己一身の安泰を願う様々な信仰から脱却して、法華経の教えに帰依しなければならないと呼びかけておられます。そして、みんながこの教えに帰依すれば、この国が安泰となり、そのことによってすべての人が安穏に暮らせるようになると説かれています。大聖人の教えを継承しようとする我々の使命は、生涯、この法華経の教えを肝に命じ、そして一人でも多くの人にこれを弘めていくところにあります。
 とはいえ実際のところ、多様な価値観が交錯している現代の世の中にあっては、このことを実践することは至難の業です。正しいから信じなさいと、藪から棒に、ただがむしゃらに呼びかけても功を奏するものではありません。かえって誤解を招いて批判されることもあるでしょう。衆生の時と機をしっかりと見極めることが必要であり、教化に必要なTPOをわきまえることが大事だと痛感します。また、人を見て法を説けといいますが、相手の気持ちに立って、その人自身に必要性を感じさせ、自主性を引き出すことも大事だと思います。日蓮主義にあっては折伏を重視しますが、押し付ける事は方法として間違いだと思います。自身の心の強さがあればこその折伏であって、気長にそしてぶれずに、一人でも多くの方に結縁していくことが求められます。そのような場合にも、目指すところをしっかりと見据えることが肝要ではないかと思います。
 本年は大聖人が御生まれあそばされて丁度八百年になりますが、我々の大願は未だ実現していません。かといって、ここで終止符を打ってはなりません。これは生生世世の誓願であり、上掲の文をよく咀嚼し、願業成就の祈りを引き継いでいかなければなりません。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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