春季彼岸を迎えるにあたって

2022年03月01日(火曜日)

 今年の春季彼岸は3月21日です。お彼岸が近づくといつも、大聖人が御遺文『彼岸鈔』で述べられている次の一節を思い起こします。
  それ彼岸とは春秋の時節の七日、信男信女ありて、もし彼の衆善を修して小行をつとむれば、生死の此岸
  より苦界の蒼波をしのぎ、菩提の彼岸に至る時節なり。故にこの七日を彼岸となづく。(中略)
  この七日のうちに一善の小行を修せば、必ず佛果菩提を得べし。余の時節に日月を運び功労を尽くすより
  は、彼岸一日の小善は、よく大菩提に至るなり。誰人かこの時節をしりて小善をも修せざらん。
この御文では、お彼岸の間に積む功徳のすばらしさが説かれています。平素忙しい事を言い訳にして日々を無意義に過ごし勝ちの我々凡夫に対し、せめてお彼岸の間は、意識して良い事をする様にと促されている様に思います。彼岸の一週間で積む功徳は、たとえささやかな「小善」であってもその価値は絶大ですから、意識をもって良い事に励みましょうという教えと私は受け止めております。
 さて、三大霊節の始めとなる春のお彼岸において一番大事なことは、秋のお彼岸やお盆やご先祖の回忌追善供養の場合においても同じですが、言うまでもなく、亡き先亡の諸霊位に対する追善の供養の報恩回向だと言ってよいでしょう。そんな中でも、大切な人を亡くした遺族や友人の近親者の悲しみをすこしでも癒すという観点も重要だと私は感じます。私事で恐縮ですが、亡き母について、母の友人はじめ多くの方々が色々な機会をとらえて母にまつわる思い出を語り、遺族である私を慰めていただきました。私自身、その回を重ねる度に、生き残った者の務めをしっかりと自覚する事ができました。悲しみに埋没してしまって自暴自棄になるところでしたが、多くの方々によって救われました。回忌法要後に参列された方々とのご会食にはその様な意味合いがあると存じます。
 そのような観点から、最近は仏教以外の宗教でも、遺族の心のケアーとして、仏教の回忌に当たるような集いを開くことが増えてきていると聞いております。コロナ禍が続く現今においては、その様な集いも従前通りにはいきませんが、工夫を重ねてお互いに心を通わせあうことが大切だと思います。
 お彼岸の一週間をこの様な意識で共に過ごし、ご先祖様にご回向いたしましょう。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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