通一仏土の実現に向けて

2022年05月01日(日曜日)

 コロナ禍が一向に収まらずうっとうしい毎日が続くなか、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、その戦況が連日報道されています。我々の住むこの地球上には、この地域以外にも未だ多くの紛争地帯が存在し、いつ火の手があがるか予想もつかず、これらの紛争がどのように落ち着くのか先行きが不安で、暗澹たる思いに包まれます。テレビや新聞では、紛争当事者達の双方の見解が報道されていますが、両者は全くすれ違っており、それぞれに自分達の権利を主張しあっているのみで、妥協点が見出せない状況です。直接的な当事者でない若者達の色々な発言も報道されていますが、個々人の権利を護るといった抽象的な議論に終始し、問題の解決に繋がらない様に思われます。
 この様な閉塞状況にあって、一見まわりくどいようにみえて最短の解決策はやはり大義名分を正すことだと思います。即ち、大義とは何かを明らかにし、一見したところたとえ自分達に不利と思われることであっても、その大義に従うことだと思います。
 論じるまでもありませんが、今や世界はますます一体化し、自国の繁栄を願うには色々な国との交流が不可欠です。この様な時代にあっての大義は、法華経が説く「通一仏土」即ち、地球全体を一つの仏国土に化すことの実現にあるのではないでしょうか。更にいえば、日本は、通一仏土の実現こそ第一義として目指すべきだと思います。たとえ武力で自国の利益を護ったとしても一時しのぎにしかなりません。私達は「願って難につけ」と教えられています。非常に難しいことかもしれませんが、国境を云々する以前に、国境を無くするという難事を目標にするべきではないでしょうか。
 今戦地において、様々なフェィクニュースが流されているといったことをよく耳にしますが、いつの時代にも、自と他を殊更に差別して、自の為に真理を曲げるといった心卑しい人がいますが、その様な人達に振り回されないと同時に、そのような行為こそ大義に悖る行為であることを悟らしめる義務が我々にはあるのだと強く思います。
 私達は、毎日の国祷正中法座の中で、大聖人が『開目抄』の中で書かれた一節「我日本の柱とならん、日本の眼目とならん、我日本の大船とならん等と誓いし願破るべからず」を拝読していますが、私はこの中の「日本」と言う言葉をいつも、内心において、「地球」に置き換えながらお唱えしています。我々法華経を信奉する者には、大きな使命と同時に様々な難が降りかかると言われていますが、克服できないことなどありません。共に不惜身命の境地で乗り越えていきましょう。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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