恩師田中智学先生のお言葉令和5年1月号

2023年01月01日(日曜日)

 年の首めに
今年こそは、大手をふって祝ひをのべることが出來る。
いかにもめでたい年である、承る所によれば、御卽位の大典も本年行はせられるとの事で、定めし國民の全體が永の間の屈情を展べて、愉快の思ひに堪へないほどであらうと察せられる、大に祝すべきである。
抑(そもそ)も 明治天皇の御昇天に付ては、吾吾臣民は、實のところ今以て悲しい、談一たび 先帝に及び、語苟くも桃山に及べば、予の如きは何時も涙ぐまずには居られない、どうかして桃山附近に居を構へて、心ゆくばかり御陵を拜して法味を捧げたいと、常に常に思って居る、人を勞してまでも、家や地面を探したのも一再でない、此心は予が死ぬまで續くであらう、何故爾うかと尋ねられても、答辨するのも面倒で、何でも自分は爾ういふ風に實際なるのである。
しかし 明治天皇が、特に吾々によって、斯く慕はれさせたまふた第一の原因は、開闢已來第一なる完き國體の權化であらせられるからなのと、先天的に法華經主義の大資格と大英斷とを具したまひて、本化大聖と冥契の聖者であらせられるからである。
 人はよく「大正維新」といふ語を使うが、けしからん事である、維新とは先規を改造する場合に用ひ來れる慣用語であって、德川の政治を明治の代に改めたから「明治維新」といふことは言ひ得るが、大正の御代は、事々に明治聖代の事業を繼承して之を擴げて行くのであって、改めるのではない、故に「維新」の語を用ふるのは甚だ宜しくない。
 吾人は飽までも 明治天皇に依りて表現された偉大明了なる日本國體をば、時世の進運と共に、いよいよますます發達擴張して行きたいとおもふ、卽ち
  明治の心を以て
  大正の事を行ふ
の心で通したいのである。
(中略)
 故に吾人は、飽までも 明治天皇をお慕ひ申す心を擴充して、大正の 皇上にお事へ申すが、眞の忠節で
あると考へるから、昨冬の天長節祝賀の際にも、特に
 明治天皇に對し奉った天長節法語を、 今上天皇のお祝ひに擬して、飽くまでも 明治天皇のおん志の如くあらせたまひて、その御偉業を一層擴充まします樣にと念じ奉る次第である。
(中略)
 明治天皇をお慕ひ申すことの深ければ深いだけ大きければ大きいだけ、それだけ大正の聖代を篤く思ふ所以であるとおもふ、明治の代を冷やかに見る樣な人に、この大正の發展を口にされるのは一つの災難である。
 明治卽大正、大正卽明治、進まずに居れといふのではない、進み進みて明治を二倍三倍十倍百倍千倍して光輝を揚げたいと思ふ。
(中略)
 ところで 明治天皇が一度もお題目をお唱えにならないのに、なぜ法華經主義のお方だといふかと言へ
ば、これには確たる現證と、正しき敎判の差排がある、よく考へざる人には、話しても詮がない、深く味はうといふ人なら、必ず『成るほど』といふであらう、今その理由を總槪して
 第一 合理的冥契
明治天皇は世間法の上に眞理正道を確立したまひ、御卽位の最初に「五ヶの御誓文」を發せられ、「勅敎」の判定、「大憲」の發布、兩度の正義戰爭、悉く事實の上に正理を貫きたまへるは、任運に法華經の旨に合したる默契にして、卽ち「先天的法華經主義者」と推し奉るべきものとす。
 第二 法國冥合の契會
明治天皇の施設宣敎は、悉く以て日本國體の全面影を發揮したるものにして、卽ち國體の正義を人格に表し現はしたるに外ならず、然るに此國が既に法華經の道理因緣兩(ふたつなが)ら一致せる國體とすれば、その全象たる 明治天皇は、亦先天的に法華經國の體現者たるは論ずる迄もない。
 第三 本化敎判の密契
此國と本化の法と窮極一致すべきものとして、扨(さて)その準備に先づ諸の謬(あやま)れる敎法と絶緣せよといふ順序からいへば、 明治天皇が政敎の分離を宣したまひ、朝廷國家をして諸の謗法雜亂(ざふらん)より分離せられしは、確かに正法正國冥合融歸の第一歩をふみ出したるものなり。(中略) 明治天皇一たび憲法を御制定ありて、信敎の自由を宣したまふや、本化立敎の根本意義は、始めて日本國家の公的に承認する所となり、四ヶ格言は正しく無障碍(むしやうげ)の擔保(たんぽ)を得たるなり是れ 明治天皇の政令の大義、任運に本化の敎判に照會撃節したるものにして、日蓮所立の法義よりして謂へば、 明治天皇の御出現は、本化大敎の宣傳に對し、「裏書」をしたまへるものといふも過當にあらざる儀と知るべし。
(後略)
(『國柱新聞』大正三年一月一日 第五十九号より) 



真世界巻頭言


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