苦労の足らぬ学見

2023年05月04日(木曜日)

学問で理屈をこねる。利巧はすなわち利巧なり。しかし世の中の辛風惨雨を経ざる無体験の素理屈は、裸体にして軍陣に臨むにも似たる早計不用意とを伴うが常なり。これを苦労の足らぬ学見という。                          
                                                      (『天業民報』より)

 今の世の中は、インターネットを通じて容易に情報を取得する事ができます。様々な知識を記憶せずとも良い時代であります。ですから恩師が仰せのとおり「苦労の足らぬ学見の時代」なのではないかと痛感せざるを得ません。今に至るまで私は、様々な失敗を繰り返してまいりました。恩師田中智学先生は、その事を予見して「行学二道」と仰せになったのかと、私は痛感しております。
 宗門の法要や会合に出席すれば「教学にたけている国柱会さん」とよくお声をかけて頂きます。先人の功績が偲ばれ、とても光栄な事ですが、現在の衰退をみると「行」の面が伴っていなかったのではないかと、反省しなくてはいけないと感じています。続種護法の問題しかり、講師であっても家族すら教化できていないという状況にあります。
 「行学二道」「続種護法」の問題について考える時に私は、植村瑞洋先生を思い浮かべます。勿論実際にお
会いしたわけではありませんが、とても素晴らしい先生でいらっしゃったとお聞きしております。植村先生は浜田駒子先生の御尊父様で、『真世界』誌で駒子先生が植村先生の護法活動についてよくお書きになられているので、皆様もご存じかと思います。我々もその様な活動を展開していかなくてはいけないのだと感じています。
 教学の衰えは事実、また「学」の無い「行」が不十分なのはその通りです。しかしそれでも体を動かすことは出来ます。教学の知識の無さを「行」の妨げにしてはならないとも思います。失敗しても成功へとつながる貴重な経験を得る事が出来ます。それに知識の披瀝だけで人の心は動かせない、失敗を恐れずに挑戦し続ける勇気ある姿に、私も心が熱くなり動かされます。
 これからも失敗を恐れずに行学二道で、共に常寂光明の真世界現出のため異体同心にて日々共に信行を重ねて参りましょう。



真世界巻頭言


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