2023年05月29日(月曜日)
絶對平和是れ正に宗敎の本領(前号のつづき)
五
人類全體の心中から、その兵器を根滅する。そんな事が果たして出來るか。
出來るともとも。それが出來ないようならば、佛陀は何の爲めに世に出たのか無意義の事である。
心中の兵器を研がしめるところの、諸の邪惡思想、淺薄思想、偏曲思想、僭慢思想これ等の兵器の巢窟を摧破して、精神界の輪寶の威力を發揮するに在る。
佛の大法輪は、その爲めに設けられたものだ。
六
斯て心中の兵器の祛られたる處においても、なほ形式的兵器の要はある。
心中兵器なく、而も兵器の要ある場合、大慈愛の心中よりして揮はるゝ兵器、これを活人劍と名ける。
若し心中の兵器を祛らずして、いたづらに形式の兵器を去つても、いよいよますます人智を狡獪化し、險惡化し、殘忍化して、談笑應酬の中、互に殺人劍を咽喉に擬するにいたる。斯の如きところに、何の平和があらうか。
七
心中兵器なきところより發するところ武俠精神、それが『眞武』であり、『神武』である。
よもの海みな同胞と思う世に
など波風の立ち騒ぐらむ
先帝の武は、即ち心中兵器なきところから發したそれである。
宗敎特に佛敎は、まづ人類心中の兵器を去らしむるに專注せねばその本領を忘れたるにひとしい。
(『天業民報』大正十三年十一月八日号より)
(おわり)