「我、日本の柱とならん」

2026年10月31日(土曜日)

合掌 この度チベット・ネパール地域で土石流災害が発生し、多くの方が被災にあわれました。亡くなられた方々のご菩提増進をお祈りいたしますとともに、被災者の方々にこころよりお見舞い申し上げます。
 皆さま、日蓮聖人の御遺文の中で一番心に響く言葉はなんでしょうか。私は、『開目抄』に述べられています「我日本の柱とならん」というお言葉が真っ先に浮かんてきます。この言葉は時代を超えて重要だと思います。建物は「柱」によって支えられます。柱がしっかりしていれば簡単には倒れません。皆様もよくご存じのとおり、日蓮聖人は多くの苦難に遇われました。さまざまな迫害に遭われましたが、自分自身のことは棚上げにして、国の柱としての重責を担い、人々が幸せに暮らせる世に成ることを願って法華経を弘められました。
 今の私たちの社会を見ますと、不安を感じることが少なくありません。将来のこと、人間関係のこと、仕事や生活のこと等々。ニュースを見れば争いや災害やさまざまな社会問題が目に入ってきます。そんな時、私たちはつい「世の中が悪い」、「誰かが何とかしてくれればいい」と考えてしまいますが、これとは逆方向に、自分が誰かの支えになろうと志すことがとても重要だと思います。国柱会では毎日欠かさず日課国祷正中法座を営み、「我日本の柱とならん」と日々心を新たにしてお唱えしております。
 凡庸な私達は日蓮聖人の様な歴史を切り開く様な大きなことを為せません。しかし、国を支えるのは大きな柱だけではありません。家族の話を聞くこと、困っている人に声をかけること、誰かの苦しみに寄り添うこと、自分のいる場所で誠実に生きること。そうした些細な行いも積み重なれば大きな力を発揮します。ひとりひとりが、自分の置かれた場所で誰かを支えることに努めれば、その柱によって社会全体が支えられると思います。「自分に何かできることはないかをときには考えてみましょう。苦しい時には誰かに支えてもらう必要がありますが、自分にすこしでも余裕ができれば、その時は誰かを支えることに努めましょう。そうやって人と人が支え合っていくことこそが、今の令和の時代に適った生き方ではないでしょうか。
「我、日本の柱とならん」。このお言葉を遠い昔の日蓮聖人のお言葉として聞くのではなく、「それでは、私は今日誰かの柱になれるだろうか」と、自分自身への問いとして受け止めてみたいと思います。ひとりひとりの小さな思いやりの心が、他の誰かの心に伝染し、やがて大きな力になります。私たちもまた、それぞれの場所で誰かを支える柱の一本として生きていきたいと願っています。東日本大震災の折、上皇陛下様が我々に仰ってくださいました。『被災地の方々に心よせていってください』と。あの言葉はとても深い意味があり、当時このお言葉を拝し涙したのを覚えています。なにもできない不甲斐ない自分でもあのお言葉に救われました。あの折に励まされたのは私だけではなかったように思います。

国柱会賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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