偽りのない綺麗な心の花を咲かせましょう

2006年10月01日(日曜日)

人として生まれて、綺麗事だけで生きて行きたいのが理想ですが、これは、多くの犠牲があって始めて可能です。私も、人として生きてもうすぐ三十年を迎える訳ですが、その年月を振り返ってみても、たくさんの生き物の命と引き替えに現在を過ごしています。そのような中で、様々な出来事にぶつかり、色々な悩みを抱えて生きています。

自分自身の問題は自分のものとして解決できますが、自分が原因で他を苦しめることになるのが、一番つらいことです。これまで、自分の意志で人を傷つけようと思った事はありませんでしたが、ある人を救いたいと思えば思う程、結果としてその人を傷つけてしまった、苦い経験があります。それは、一つの事に執着しすぎたため「木を見て森を見ず」に終わり、その人を逆に追い込んでしまうといった結果となり、なんとも形容しがたい辛い経験でした。 その経験においては、その人を救いたいと思う心が本物ではなく、救うつもりが、その心のどこかに、自分の行為を評価してもらえるものといった傲りの意識があったのではないかと気づき、二度と同じ過ちをしないように心に誓いました。自分よがりの救済なんて何の意味もない。我見を離れ、それぞれにとっての最良の救いは何か。常日頃から、本気で考えていきたいと思います。

最近の、ファッション誌など様々な雑誌に目を向けると、駆け引き上手になるための講釈が一番多く目にとまります。人生すべて駆け引きで渡り歩くかのようで、これでは、みんなが寂しい人生を送ることを奨めている結果になります。

時には駆け引きも必要かもしれませんが、駆け引きは、自分自身の根本心に蓋をする事になると危惧しています。私は、駆け引きは決してしたくないと思っています。これからの世を渡っていくには、様々の悩みをかかえることが多いと思います。特に未来ある若い世代の方々は、進路の事や、又恋愛にも悩むことがあると思います。何事においても、駆け引きなどは無縁にして、真剣に悩み、そしてよい活路を見いだしていきたいと思います。

日々の御修行は、根本心の表現であります。綺麗な心を持ってお勤めをしたいと思います。夢想家と思われるかもしれませんが、世界が全体幸せに成ることを信じてお勤めしております。申孝園の「仏子の間」から響く、心からのお題目と木鉦と太鼓の音が、地球全体、さらに宇宙へも響きわたり、本当に争いの無い平和な時がくるのだと信じて、お祈りしております。若い世代の読者に強くお願いしたい事は、決して駆け引きで人生を渡り歩いて欲しくない。自身の根本心に目を向け、己の心を偽って咲かせた、見た目の綺麗な花ではなく、誠の心で綺麗な花を育てて頂きたいと思います。

私は、これから本気で『楽って難に就け』を常に意識して、より多くの難を経験し、その経験を生かして、少しでも実社会のお役に立ちたいと思います。皆さん、共に偽りのない純真な綺麗な心の花を咲かせましょう。そして明るい未来を築きましょう。



真世界巻頭言


ページの先頭へ