よろしく大願を起こせ

2006年11月01日(水曜日)

田中智学先生(齢43歳)

田中智学先生(齢43歳)

我々は皆、社会の中で人類の一員として、家族と共に暮らしています。その生活のなかでは、自分の望んでいることとはうらはらに、様々な辛い事などが起きます。先日の飲酒運転によって尊い命を奪われた悲惨な事故の様に、まるで天災さながらに、自らの意志とは無関係に起こることがたくさんあります。また、その逆もあります。よかれと思ってした自分の意志決定が、他を苦しませてしまう場合もあります。好むと好まざるとに拘わらず、私達は、社会の中で、互いに他と影響しあって生きているのです。一見自分とは無関係に起こっている様に見えることも、見方をかえて考えれば、自分自身のあり方と関連しています。上述の飲酒運転事故の多発も、これを生みだした社会環境のあり方が問題になります。一人一人が自覚して、自分が飲酒運転をしないことは勿論、飲酒運転を起こさせない環境をつくることが大切です。抑も我々凡夫は、煩悩充満でありながら仏性を宿しているという矛盾。其の矛盾をいかに自覚して人生を送るのか?その自覚をしている時としていない時とでは、ぜんぜん違うのです。煩悩を自覚して煩悩に埋没しない事です。これは、私達一人一人の心がけと努力によって可能です。もっと、一人一人が、社会の中での自分、といった意識をもち、社会の構成員としての自分の大切さを認識することが重要であると思います。

ここで、私自身の学生の頃をふりかえってみると、その生活の中で、自己紹介をする機会がとても少なかった事に気づきました。せいぜい、進学した時のオリエンテーションで自己紹介するくらいで、後は、教師の呼びかけに返事をする程度でした。私自身もそうですが学生時代は、まるで流木の如く、時代と言う波に流されていただけであったように思います。我々人間は、単なる流木でなく、それぞれに名前をもっています。名前は、社会の中で、その重要な構成員であることの宣言です。若い時から、意識をもって名を名乗ることが大切だと思います。日蓮聖人の御遺文『寂日房御書』には、「一切の物にわたりて名の大切なる也。」と述べられています。名乗ることによって、そこから生まれる誇りが、親から先祖へ、子から孫へ、地域から国へ、そして更には世界へと繋がっていく力を生むものと思います。
 今月は、恩師田中智学先生第六十八回忌報恩大会を迎えますが、今日に至るまで、大勢の方々が恩師に影響を受け、恩師の残された文編は、現在の多くの人々に注目されています。恩師は、寺院の片隅で永く眠っていた仏教の哲理を、社会を導いていく原理として捉えて国家改造の運動を展開されました。その恩師の行跡が、様々な観点から関心を持たれています。この教えを継承する国柱会は、重要な使命を担っているのです。折りにふれ、色々な場面で、恩師が、「よろしく大願を起こせ」とお教えくださっていることを感じます。法のため同志は国柱会の更なる発展に精進することを希ってやみません。

国柱会賽主:田中壮谷



真世界巻頭言


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