小さな身体の中にも大きな菩薩のこころをもって

2007年03月06日(火曜日)

ときには自分の無能さに絶望したり、ときには自分の器を過信したり、こころが安まることのない日々を送っていますが、海の様な大自然を前にしたとき、自分が悩んでいる様々の事がちっぽけなものと感じられます。とても広い大きなその海ですら、宇宙から見たとき、地球そのものが爪上の塵の如き小さな存在なのです。

よく写真などで、宇宙からみた地球が映し出されていますが、それはそれはきれいな星です。この星の一点を占めて、日常の些事にこだわり続ける我々の愚かさに気づかされます。

青く輝く地球をみていると、同時にまた、昨今報じられているような痛ましい事件が嘘のように思われます。しかし、ただ外側からみているだけでは、現実は何も変わりません。

我々の使命は、すべての存在に対して、共に成仏を願う法華経の教えを広めることです。ただ眺めているのではなく、現実社会においてその様な痛ましい事件が起こらないように、できるところから実践して行かねばなりません。それが我々在家仏教徒の務めです。

老若男女を問わず、現代を生きる全ての方々が教化の対象ですが、現代の物質文明に支配された世の中においては、「諸行無常」を悟ることさえ、なかなか難しいことです。テレビでニュースを伝えるキャスターは、痛ましいニュースを伝えるのにも余りに慣れすぎていて、ベルトコンベヤーで大量生産を行うロボットのように無表情で、視聴者に向かって原稿を棒読みするといった状態です。これでは人命の尊さも伝わりようがありません。イラク派兵の米兵死者が三千人を超すといったテロップがインターネット上にも流れ、その犠牲者の数が更新されています。また、イラクの兵隊、民間人と、尊い命が多数奪われているのにも拘わらず、数字を伝える程度です。もっと大切な戦争の悲惨さや愚かさ、人命の尊さを伝えるべきです。

恩師田中智学先生が「思考が欠けるものよ。汝の前には文字なく人生なし。」と言われています。私も元来勉強は苦手で、体を動かす方が大好きなのですが、やはり人として生を頂いた以上は、まず良く思考して人生を送ることが必要です。思考が欠けていると、時間は永遠と言う錯覚に陥り、無駄な時間を過ごしがちですが、大聖人のお言葉の「臨終の事を習うて後に他事を習ふべし」を、改めて深く考えなおしましょう。

人生は限られています。なすべき事、伝える事を学び、より良い世界を子孫に残す為にがんばりましょう。行き詰まったときは、こころを込めて「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えましょう。私は、お題目によって元気を頂いていることを実感しております。

お題目を唱えて元気を頂いて、皆さん共にがんばりましょう。決して落ち込むことはありません。一人一人はちっぽけな存在ですが、異体同心し大きな菩薩の心を頂いて行動すれば、良い方向へと変わります。自らの幸せより先に、他を救うという願業をもつ我々が、世の中を変えていく主役なのです



真世界巻頭言


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