仏の心をもって人生の駒を進めましょう

2007年03月28日(水曜日)

人生をよりよく生きるためにはどんな行動を取るべきか、日々選択を迫られます。個人的なこと、大勢の方々に関わること、ごく些細なこともあれば、重要なこともあります。一日に何度の選択をするか? 確かに人生は選択の連続です。私は、本年三十歳を迎えたところですが、それでも様々な選択を行なってきた過去が思い起こされます。

先日、祖父(田中香浦先生)の書斎を整理していたとき、一つのビデオが見つかりました。それは、私が英国より一時帰国したときのものです。そこにあった映像は、私の帰国を祝う家族の姿が映っていました。普段は緊張の連続でいつも難しい顔をしていた祖父も、満面の笑みをうかべ、大おじ、大おばにあたる大橋両先生も同様です。祖父を中心にした家族団欒の様子がみられ、現在日本の家庭、特に東京という大都会ではなかなか見られない光景です。大家族に包まれた生活は、十年前の当時にあっても珍しいことでした。仲の良い家族だねと、友人からよく指摘されましたが、恥ずかしいような、そして誇らしげな感じがしたものでした。それは、当時、祖父を中心とした家父長制度から自然と生まれたものだったのでしょう。

十年の時を振り返り、「留学」という当時の選択が最善の選択であったかどうか、正直胸を張って言えませんが、その時は一生懸命に出した答えでした。それがどのように現在に繋がっているか私には不明ですが、過去に行なった選択が現在の自分を決めているのですから、未来に向けて、現在の選択の重要性を痛感しています。

法華経如来壽量品第十六に『一心欲見仏』(一心に仏を見奉らんと欲して)とあります。このことばは、日々、至誠の限りを尽くして仏に対座せよという教えだと思います。また、常に仏を意識して人生の駒を進めよ、との教えとも読み取れます。

今月は、お釈迦様がお生まれになられた月です。常に仏を意識して人生を送るといってもそう簡単に出来ないのは当たり前ですが、その時その時の小さな心構えでも、積み重なれば大きな変化を生みます。
 我々は皆、仏の子として平等です。しかし日常生活には、必ずしも平等と思えない事も沢山あり、凶悪犯罪の実行者など、憎むべき悪人も当然います。そのようなどうしようもない悪人でも、仏につながる心が必ず宿っているのです。

日蓮聖人は『観心本尊鈔』のなかで、「どうしようもない悪人でも、なお自分の妻子を愛するではないか、そこに菩薩の心の片鱗が宿っていないと誰がいえよう」と説いておられます。それが、『十界互具』なのです。綺麗なお月様の反対側を想像してみてください。

我々が見た事もない程の暗さでしょう。明るく綺麗なお月様ですら反対側はまっ暗なのです。常にこのことを意識し、正しい信仰によって十界互具の心を浄め、仏の心をもって人生の駒を進めましょう。

最後になりましたが、本年より、四月二十九日が「昭和の日」となりましたこと、心よりお祝い申し上げます。この日の改名は祖父の念願でした。本会あげての署名活動成満の日であります。

昭和天皇の無私のみこころに導かれて、現在の豊かな日本があるのです。昭和天皇のご聖徳を偲び、激動の昭和時代を心して憶念したいと思います。



真世界巻頭言


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