新年に際して

2017年01月01日(日曜日)

合掌
 新年あけましておめでとうございます。本年も皆様にとりまして良い年になりますことを、心よりお祈り申し上げます。
 「一年の計は元旦にあり」でございますが、毎回年の初めに様々な誓いを立てては実行できずに終わり、つくづく自分自身が凡夫であることを何度も再確認させられ、いい加減嫌気がさしております。その反面「人は生きているなら元旦でなくても、いつでも生まれ変わることができるんだ」と開き直ってしまう私もいます。困ったものですね。皆様も同じような経験がございませんか。私も、この身が仏身に至るまで様々な矛盾を抱えながらこれからも生きて行くのでしょう。
 日々の生活の中において私は、十界互具のあらわれである人間の精神の中で、最下等は地獄の心、最上等は仏の心でありますが、どれだけ人間より上の精神を保つことができているのだろうかと日々感じます。私は普段イライラしたりと、人間より下の精神であることはよく自覚しています。その自覚が少しでも上の心持ちでいられるようにして行きたいものです。 
 本年は、実生活においても限りなく仏の精神状態に近づけるように努力したいと思います。祈りを捧げるお勤めの時間を除けば、本当に瑣末な事で心を乱されてしまい、反省の日々であります。
地球環境の変化、世界情勢の変化が昨今めまぐるしい世の中において、祈りを捧げる事によって私自身もとても救われています。皆様も忙しい日々の中に祈りの時間をつくってみてはいかがでしょうか。現世安穏とはなかなか言い難いですが、この世の中が仏国土となる事を願い、まずは祈りを通して凡夫である私の心が仏様の心に近づかなくてはいけませんね。
 皆様と共に祈り現世安穏に少しでもなるように願いを込めて祈る年といたしましょう。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

国柱会霊廟賽主 田中壮谷



真世界巻頭言


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